ページトップ

番組概要

1945年(昭和20年)8月9日 午前11時02分。
アメリカ軍は日本に対して2発目の原子爆弾を投下、当時の長崎市の市民24万人のうち、約15万人が死傷した。
原爆の投下目標は当初、福岡県北九州市(旧小倉市)の兵器工場だった。
しかし、前日の八幡空襲などが原因で、小倉上空からの視界が悪かったためアメリカ軍は目的地を長崎に変更したとされている。

戦後70年を迎えようとするいま、当時八幡製鉄所に勤めていた元従業員の男性による証言がにわかに注目されることになった。

「8月9日朝、原爆投下を防ごうとコールタールを燃やして煙幕を張った」

当時、広島がアメリカ軍の新型爆弾によって壊滅状態になったことを知った男性は、次は八幡製鉄所が標的にされると感じていた。
そして8月9日の原爆投下当日、実際に爆撃機は小倉上空に飛来していた。
アメリカ軍の新型爆弾から工場を守るため、男性ら従業員は、製鉄所内に置かれていたドラム缶に薬品を入れて火をつけ、煙幕を張ったという。

煙幕の下で ~軍都の記憶~

すでに86歳になる男性は、これまで固く口を閉ざしていた。

「あの時の行動が長崎の人たちの多大な犠牲につながったのではないか-」

その「罪の意識」は、70年に渡って男性の心に暗い影を落とし続けている。

兵器工場を抱えた軍都・小倉、そして日本の工業の屋台骨を支えた鉄の街・八幡。原爆投下の「第一目標」とされた街の人々は、どのような思いを抱えてきたのか-「煙幕の下」の真実を探っていく。

煙幕の下で ~軍都の記憶~

ディレクター岸本貴博のコメント

煙幕の下で ~軍都の記憶~

戦争で真っ先に犠牲になるのは弱い立場の人々です。
かつて私が暮らしていた沖縄では民間人も巻き添えにした壮絶な地上戦が展開され県民の4人に1人が死亡しました。私も遺族の1人です。
「勇ましい軍人の話ではなく、弱くはかない市民の物語を伝えたい」
制作者として私の根底にあったものは、その想いだけです。

戦争が何をもたらすのか-
いま現在の問題に対してどのように向き合ったらよいのか-
視聴者の皆様に考えて頂くきっかけになれば幸いです。

ページの先頭へ