工藤会 最高幹部に判決へ(5) 市民襲撃繰り返す “最凶”組織の歴史 福岡県

2021年08月24日

全国唯一の特定危険指定暴力団工藤会とは、どんな組織なのか。

今から40年前にTNCのカメラが捉えた映像。

戦闘服を着た組員たちが街を闊歩し,組事務所には銃で撃たれた痕があります。

「工藤会」の前身「工藤連合草野一家」が結成されたのは、1987年。

「工藤連合草野一家」は、北九州のあらゆる利権をむさぼりました。

◆1988年1月
「バーンとしたような、目がチカっとするようなあんな瞬間」

1988年には“みかじめ料”を断った健康センターに殺そ剤を投げ込み、150人を越える市民が中毒症状を起こしました。

◆散弾銃事件(1990年3月)
リポート 鈴木哲夫氏
「ファミリーレストランで発砲がありました」

1990年には、土地問題で揉めた相手に散弾銃を発砲しました。

そして1994年、北九州の街が戦場と化したのです。

◆1994年9月
「連日街は震えあがっている。最も卑劣な手段を使う暴力団の姿がまた浮かび上がった」

▼記者
「県警本部の北門です。入り口は沢山の報道陣と警察で緊迫しています」

1992年、福岡県公安委員会は暴力団対策法に基づき、みかじめ料など暴力団の資金源を規制しました。

するとー

◆記者
「昨夜九時前、JR小倉駅北側のホテルでピストルの発射音が二発。若い男が走り去るのが目撃された。ほぼ同じ時刻、今度は駅の南側のホテルにも別人とみられる男が飛びこんできた。男はロビーの客の目前でピストルを天井に向けて5発発射した」

「工藤連合草野一家」は、みかじめ料の支払いを断った市民に攻撃を繰り返しました。

1999年、「工藤連合草野一家」は「工藤会」に名称を変更。

その翌年、野村悟被告(当時53)が組の実権を握ると、さらに凶悪化の一途を辿ります。

2003年には、暴追運動の先頭に立つ男性が経営するクラブに組員が手榴弾を投げ込み、女性従業員など12人が重軽傷を負いました。

さらにー

◆記者(2007年4月)
「また北九州市で発砲事件です」

◆トヨタ九州工場手りゅう弾事件(2008年9月)
記者
「何者かによって、変電所のガラスが割られ、そして爆発物と見られるものが投げ込まれ、付近の砂利が散乱しています」

2004~2009年までの5年間に、企業などを狙った襲撃事件が40件近く発生。

そのうち少なくとも10件が、工藤会の犯行と判明しました。

◆記者(2012年)
「警察によりますと、午前1時ごろ、女性が自宅の前でタクシーを降りた直後、男から突然刃物で顔を切りつけられました」

2012年、暴力団員の飲食店への入店を禁じる標章制度が始まると、工藤会は、放火や切りつけなどの凶悪事件を立て続けに起こしました。

◆記者(2012年)
「殺傷能力が確認されたロケットランチャー、側面にはロシア語による説明が書かれています」

全国で唯一、「特定危険指定暴力団」に指定された工藤会。

締め付けが強化される度に反発を繰り返してきた工藤会の歴史に終止符を打ったのが、2014年、福岡県警が開始した『頂上作戦』だったのです。

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