小倉の火災から1週間 「必ずこの場所で復活を」 被災者が前を向くも…がれきは“旦過市場と同規模”

01月10日

1月3日に北九州市の飲食店街などで起きた大規模火災から10日で1週間です。

周辺では通行止めの一部が解除されるなど復旧に向けた動きが進む中、課題も浮き彫りとなっています。

◆リポーター(10日)
「正午過ぎです。立入禁止と書かれた柵が取り除かれ、アーケードが全面開通しました」

火元となった鳥町食道街に隣接する魚町銀天街。

10日正午、1週間ぶりに通行できるようになりました。

◆北九州市民
「通れるようになったので、それだけでもいいかと。被害に遭われた方を思うといたたまれない」

◆北九州市民
「復帰への第一歩という感じ。少しでも早く前の姿を取り戻せるよう願っています」

1月3日に起きた大規模火災。

木造の建物が密集していた飲食店街「鳥町食道街」から出た火は、隣接する魚町銀天街を含む飲食店など36店舗約2900平方メートルを焼き、鎮火までに40時間以上を要しました。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん
「正月早々こんなことがあるとは。まさか自分のお店の近くで」

70年以上の歴史を持つ鳥町食道街。

約60メートルにわたり飲食店が立ち並び、小倉の街で愛され続けてきた場所でした。

北九州名物・焼きうどん。

その発祥の店「だるま堂」は、鳥町食道街に1945年に創業。

2019年に一度閉店したあと、翌年、3代目の竹中さんが店を復活させていましたが、今回の火事で被災しました。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん(4日)
「自分たちの代で…先代とかには申し訳ない」

幸いにも焼失は免れましたが、営業再開のめどは立たない状況。

しかし、希望は捨てずに前を向いています。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん(10日)
「残ってただけでもありがたい」

先代から受け継いだという「へら」。

店内に飾っていた先代からのバトンは、焼けることなく残っていました。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん(10日)
「必ずこの場所で復活を遂げたい。鳥町食道街という場所にはこだわっていきたい。箱はどういう風になろうとも、場所にはこだわっていきたい」

被災者を支援するための北九州市の窓口。

鳥町食道街とは別の場所で再開しようという店の関係者が訪れていました。

窓口を訪れていたのは、熊谷光輝さん(31)。

鳥町食道街で経営していた日本酒バーが被災する中、行政から受けられる支援について説明を受けていました。

◆熊谷光輝さん
「完全に倒壊してしまっているので、何にも残ってない。放心状態に近い」

北九州市出身の熊谷さん。

食道街に集まる人の温かさに惹かれ、2022年7月に店をオープンさせました。

出火元とみられる店の関係者が「油の入った鍋を火にかけたまま外に出た」と話すなど、失火が原因とみられる今回の火災をどう受け止めているのでしょうか。

◆熊谷光輝さん
「鳥町(食道街)の人たちが言っていたのは、『もうなってしまったのは仕方ない』と。誰も恨んでない。(出火元とみられる店を)憎んだりはしてない。(その店の人に)まだ会えてない。会えたら『しょうがないです』としか言えない。(そう)言えるだけの人だったので、仕方ないじゃないけど『しょうがないよね』と。そう思わされるくらい、いい人」

熊谷さんは一刻も早く店を再開させたいと、新しい場所を探しています。

◆熊谷光輝さん
「つながりのあるあったかい通り。そこの寂しさはある。心配してくれた、応援してくれた人への感謝じゃないけど、その思いで『すぐ再建を』と自分の切り替えができた」

被災者が前を向く中、大きな課題も残されています。

北九州市によると、今回の火災では2022年の旦過市場での火災と同じくらいの約2000トンのがれきが出ていて、撤去のめどは立っていないということです。

市はがれきの受け入れを無償で行うとしていますが、撤去や運搬などは被災者の自己負担となっていて、今後、重くのしかかることになりそうです。
1月3日に北九州市の飲食店街などで起きた大規模火災から10日で1週間です。

周辺では通行止めの一部が解除されるなど復旧に向けた動きが進む中、課題も浮き彫りとなっています。

◆リポーター(10日)
「正午過ぎです。立入禁止と書かれた柵が取り除かれ、アーケードが全面開通しました」

火元となった鳥町食道街に隣接する魚町銀天街。

10日正午、1週間ぶりに通行できるようになりました。

◆北九州市民
「通れるようになったので、それだけでもいいかと。被害に遭われた方を思うといたたまれない」

◆北九州市民
「復帰への第一歩という感じ。少しでも早く前の姿を取り戻せるよう願っています」

1月3日に起きた大規模火災。

木造の建物が密集していた飲食店街「鳥町食道街」から出た火は、隣接する魚町銀天街を含む飲食店など36店舗約2900平方メートルを焼き、鎮火までに40時間以上を要しました。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん
「正月早々こんなことがあるとは。まさか自分のお店の近くで」

70年以上の歴史を持つ鳥町食道街。

約60メートルにわたり飲食店が立ち並び、小倉の街で愛され続けてきた場所でした。

北九州名物・焼きうどん。

その発祥の店「だるま堂」は、鳥町食道街に1945年に創業。

2019年に一度閉店したあと、翌年、3代目の竹中さんが店を復活させていましたが、今回の火事で被災しました。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん(4日)
「自分たちの代で…先代とかには申し訳ない」

幸いにも焼失は免れましたが、営業再開のめどは立たない状況。

しかし、希望は捨てずに前を向いています。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん(10日)
「残ってただけでもありがたい」

先代から受け継いだという「へら」。

店内に飾っていた先代からのバトンは、焼けることなく残っていました。

◆だるま堂 3代目 竹中康二さん(10日)
「必ずこの場所で復活を遂げたい。鳥町食道街という場所にはこだわっていきたい。箱はどういう風になろうとも、場所にはこだわっていきたい」

被災者を支援するための北九州市の窓口。

鳥町食道街とは別の場所で再開しようという店の関係者が訪れていました。

窓口を訪れていたのは、熊谷光輝さん(31)。

鳥町食道街で経営していた日本酒バーが被災する中、行政から受けられる支援について説明を受けていました。

◆熊谷光輝さん
「完全に倒壊してしまっているので、何にも残ってない。放心状態に近い」

北九州市出身の熊谷さん。

食道街に集まる人の温かさに惹かれ、2022年7月に店をオープンさせました。

出火元とみられる店の関係者が「油の入った鍋を火にかけたまま外に出た」と話すなど、失火が原因とみられる今回の火災をどう受け止めているのでしょうか。

◆熊谷光輝さん
「鳥町(食道街)の人たちが言っていたのは、『もうなってしまったのは仕方ない』と。誰も恨んでない。(出火元とみられる店を)憎んだりはしてない。(その店の人に)まだ会えてない。会えたら『しょうがないです』としか言えない。(そう)言えるだけの人だったので、仕方ないじゃないけど『しょうがないよね』と。そう思わされるくらい、いい人」

熊谷さんは一刻も早く店を再開させたいと、新しい場所を探しています。

◆熊谷光輝さん
「つながりのあるあったかい通り。そこの寂しさはある。心配してくれた、応援してくれた人への感謝じゃないけど、その思いで『すぐ再建を』と自分の切り替えができた」

被災者が前を向く中、大きな課題も残されています。

北九州市によると、今回の火災では2022年の旦過市場での火災と同じくらいの約2000トンのがれきが出ていて、撤去のめどは立っていないということです。

市はがれきの受け入れを無償で行うとしていますが、撤去や運搬などは被災者の自己負担となっていて、今後、重くのしかかることになりそうです。

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