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これまでの放送内容

2011年8月28日(日)

とどかぬ白衣 ~外国人看護師候補者の現実~

2006年に日本がインドネシアと締結したEPA(経済連携協定)。

この協定に伴い、日本がインドネシアの看護師候補者を受け入れる制度がスタートした。来日したインドネシア人は100人以上、日本各地の病院に配属された彼らはすべて母国で看護資格を持つ実務経験者だった。しかし日本の免許を持っていない彼らの仕事は、あくまで看護師の助手。さらに看護師の国家試験に3年以内に合格できなければ帰国という条件がついた。「褥瘡(じょくそう)」や「喃語(なんご)」といった難解な漢字で表現される医療現場の専門用語の数々。それらを理解しないとパスできない国家試験は彼らにとっては極めて高いハードルである。

福岡の総合病院の内科の病棟で看護師の助手として働いているインドネシア人ムリヤディも、日本で看護師になる事を夢見て来日した一人だ。EPA(経済連携協定)に伴う国の制度で認められた日本の滞在期間は3年だが、すでに残された期間は数か月となった。今年2月の試験に落ちれば国に帰らなければならない。そんな中、政府があと一年滞在期間を延長するという動きもでてきた。3月の試験結果、そして彼の決断とは?何度も挫折を繰り返しながらも前も向いて懸命に努力する彼らの姿を追うとともに、この制度の問題点を浮き彫りにする。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2026.08.16(日)

2020年、1人の女性と出会った。桑代チノさん(当時91歳)。チノさんが生まれ育ったのは鹿児島県南九州市知覧町。かつて本土最南端の特攻基地があった場所だ。1945年3月特攻隊が次々と編成された当時、知覧高等女学校の女学生だったチノさんは命令で特攻隊員の奉仕活動にあたった。隊員の世話にあたった女学生は約100人。校章の「なでしこの花」から“なでしこ隊”と呼ばれた。チノさんには忘れられない日があった。4月12日第二次総攻撃が行われた日。次々と飛び立つ特攻隊員を、八重桜を振って見送った。当時を語り出すチノさんの目は涙で濡れる。チノさんは、入退院を繰り返す様になった。そして、話を聴くことさえできなくなる。チノさんの長男の照明さんが戦争を語り継ぐ活動を始めた。“なでしこ隊”だった母の仲間たちに話を聴く。“なでしこ隊”の思いに胸を打たれ、やがて多くの人々へ母の経験した“なでしこ隊”の記憶を語り始めた。日本人の88.8%が戦後生まれになった今、チノさんたち“なでしこ隊”が語ってくれた言葉から改めて80年前の戦争について考える。

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