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これまでの放送内容

2011年3月6日(日)

オイたち五人の鍛冶屋兄弟

長崎県島原市で鍛冶屋に生まれた11人兄弟。 9人の男兄弟全員が家業を継ぎました。 現在5人が現役で働いています。

最年長は、次男の吉田則行さん90歳。まだまだ現役です。穏やかに、楽しみながら仕事をする兄弟たちの日々は、日頃私たちが忘れがちな家族への思いやりや、家族のつながりを思い出させてくるようです。そんな中、兄弟にある出来事が起こりました。こんな時こそ力を合わせたい。そう願う兄弟たちは、ある一つの挑戦を試みます。挑戦は成功するのでしょうか。そして兄弟たちの願いとは。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年2月27日(日)

はるか時を越えたロマン

約1億3000万年前。恐竜が生きていた時代。

1990年、その証拠となる「恐竜の歯の化石」が福岡県の宮若市で見つかりました。その出来ごとに衝撃を受けた黒河さんは、後に恐竜の足跡化石という大発見をしたのです。黒河さんは飯塚市で生まれ育ちました。自宅のすぐ裏にある石垣に使われている石は、全て木の化石です。化石は博物館だけにあるものではなく、本当に身近にあるものなのです。

黒河さんの本業は歯科技工士。平日は忙しい日々が続き帰りが深夜になることもしばしばです。休日になると、各地へ化石の採集に出かけます。自宅に化石収蔵庫まで作ってしまうほどの熱の入れようです。

ある日、ブログを通して知り合った仲間たちと山に化石採集へ向かいました。その土地は、土砂崩れでたくさんの石が山から落ちてきた場所です。2か月前の調査では貴重な化石を確認しています。しかし、探しても探してもその石が見当たりません。土砂崩れで荒れた道を整備する中でその石の重要性に気づかず、持ち出されてしまったようなのです。実は化石が置かれている現状は厳しく、埋蔵文化財とは違い、工事や開拓の現場から貴重な化石が見つかったとしても、それをストップさせることができないのです。日本中で、人の目に触れないまま、たくさんの化石が失われていってるのです。

雪が舞う中、黒河さんは船の上にいました。向かった先は熊本県天草市御所浦。恐竜の化石をはじめ貴重な化石がたくさん出ている「恐竜の島」と呼ばれる地です。
この島の一番の魅力は島中で化石に触れることができること。中には公園に化石を集め展示されていたり、道路工事の途中に見つかったアンモナイトの化石を破壊してしまうことなくその地に保存されていたり、さらに船で渡った島では恐竜の足跡が見つかり、発見当時の様子が再現されています。誰でも化石採集を体験できる場所まで準備されているのです。博物館すらない筑豊地区と比べて、ここは夢のような島でした。御所浦から戻るとすぐに仲間たちで集まりました。夢のような島でのできごとをはやくみんなに伝えたかったのです。

御所浦での体験が、黒河さんの夢をさらに大きくさせました。御所浦に負けないくらい、筑豊地区も御所浦に負けない程の化石産地です。失われていくことをなんとか防いで行かなくてはいけません。そのためにも、まずは多くの人に興味を持ってもらうことが第一歩だと黒河さんは考えています。さらには化石に触れることが、自然を愛する気持ちや郷土を愛する気持ちにつながって欲しいと思っています。将来、筑豊地区に博物館が出来れば、それまで集めた化石を寄贈して沢山の人に見てもらいたい。黒河さんはそう思っています。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年2月20日(日)

母の横顔

長崎県佐世保市で有名なものの1つに佐世保バーガーがあります。

そんな佐世保バーガーのお店をはじめて37年になる人気店の1つが「ロン」です。今は2代目の久保山幸一さんが後を継いで店を営んでいます。

ここで中学3年生になる女の子が働いています。久保山桃果さんは、父の手伝いをしています。それはお母さんのためです。母・美弥さんは6人目となる子供を出産しようとしています。桃果さんは、5人兄弟の一番上です。長女として、これまで家族のために家事や子育て、いろんなことをしなければなりませんでした。やりたいことも我慢してきました。そんな彼女にもうすぐ新しい兄弟が増えます。

番組では、母の出産を期に、夢を描き、家族の大切さを感じていく桃果さんの成長を見つめます。母の横顔が語る子供へのメッセージを伝えます。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年2月13日(日)

海と生きる ~博多湾漁師の一年~

福岡市の姪浜漁港。博多湾でも町の中心部に位置するこの漁港はすぐ後ろに大きな観覧車、少し先には福岡ドームなどが見える都会の港。 そこで25年のキャリアを誇る中堅漁師が野上千尋さん(40)。 博多湾の内海、外海両方にでて活きのいい魚をとる彼の1年を追う。

正月の玉せせり神事で1年が始まる姪浜漁港。
威勢のいい掛け声が響いた後は博多湾での漁が始まる。
サワラやスズキをとり、5月からは解禁になった鯛をメインで狙う。
夏には地引網や魚すくいなどのイベントを漁師仲間たちと企画、さらには漁港の朝市で獲れたての魚を家族で販売するなど精力的に活動する野口さん。そして一年も終わりに近づいたころ、彼は自分が漁師になった15歳になった長男を漁に連れていくことにする。

そこで語られた親子二人の漁、そして地元姪浜に対する想いとは?

年明けにおこなわれた玉せせり神事までの丸1年、姪浜漁師・野上千尋さんの姿を追いかけます。

制作局テレビ西日本(TNC)

2011年2月6日(日)

エンヤー!親子5代唐津くんち物語

唐津市木綿(きわた)町で、代々自転車屋を営んできた正田諒一郎さん(72)。息子でバイク屋を営む俊輔さん(46)。「生活の全てはくんち」と、自他共に認める親子だ。正田家の祖先は唐津藩の刀鍛冶師。

自転車屋は明治39(1906)年に初代松太郎が創業した100年の歴史ある老舗自転車屋。

木綿町の自慢は元冶元年(1864)に町民の寄付で製作された、唐津くんち九番曳山(やま)・武田信玄の兜。その兜、今年26年ぶりに5回目の塗り替えを行った。しかも唐津で行うのも半世紀ぶり。町民の関心は更に深まった。栄えある塗替実行委員長に推された正田諒一郎さん。親子が中心となり、2月7日(日)の曳山解体から作業はスタートした。

4月。諒一郎さんを突然襲った脳梗塞。夏まで塗り替え作業には顔を出せず、無念がる諒一郎さん。息子がその代わりを務めながら、塗り替えは続いていった。
10月。脅威の回復を成し遂げた諒一郎さんとともに、曳山は見事塗り替え終了。そして兜の裏側には、正田家5代の名前が記された。「兜に名を残す」それはまさに唐津っ子の誉。

11月。いよいよ唐津くんちの3日間が始まった。そこには塗り替えが終わった真新しい曳山を誇らしげに曳く正田一家の姿があった。今年から木綿町の曳山組織に入会した長男・信太郎さん(19)は、唐津っ子の憧れ「曳山の上(やまんうえ)」で初めて采配を振ることに。驚く長男と喜ぶ家族。そして最終日。唐津っ子の心をたぎらせる「エンヤー」の掛け声と共に曳山が展示場に収納される時、曳き子たちは男泣きする。「くんちを引き継ぐこと。それは町を引き継ぐこと」。番組は、先祖代々唐津くんち一筋に生きてきた正田一家を中心に、木綿町町民の武田信玄の兜にかける想いを伝える。

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2025.06.22(日)

福岡市の中心部、天神に位置する済生会福岡総合病院の救命救急センター。ここに久城正紀という医師がいる。救急車で運ばれてきた様々な患者の処置を行う救急医だ。研修医時代、救急医療の魅力を知った久城医師は済生会福岡総合病院で研鑽を重ね、その後、ドラマ「コード・ブルー」のモデルにもなった千葉県の病院でフライトドクターを務めた。ドクターヘリの搭乗回数は500件を超える。他にも、福岡県での豪雨災害や能登半島地震など、多くの災害医療にも携わってきた救急医療のスペシャリストだ。そんな久城医師が福岡に帰ってきたのは3年前。これまでの経験を地元福岡に還元したいと話す。40歳を迎える今年、彼が目指す救急医療のあり方とは。

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