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これまでの放送内容

2012年10月14日(日)

自宅で死ぬということ~在宅ホスピス医~

▽あなたの“最期”はどこで?9割近くの人が自宅ではなく、病院で亡くなる現在。「病院で死ぬのではなく自宅で生きる」。支える医師とその家族に密着しました。

▽あなたの“最期”はどこで? 1950年代頃まで日本人の8割以上が自宅で人生の最期を迎えていました。ところが現代は9割近くの人が自宅ではなく、病院で亡くなっています。▽福岡市早良区の開業医、二ノ坂保喜さん。数百人の患者を抱え、患者の自宅を訪問する在宅医です。患者の多くがガンなどの重い病にかかっています。二ノ坂医師の心情は「病院で死ぬのではなく自宅で生きる」ということ。二ノ坂医師の活動と「死ぬまで自宅で生きる」人とその家族に密着しました。▽また在宅での医療を支えているのが、訪問看護師。福岡市西区の訪問看護ステーション『はな』には10人のベテラン看護師が24時間体制で患者に対応しています。患者の家族に適切な介護のアドバイスをする訪問看護師も紹介します。二ノ坂医師を中心に、在宅介護の横の繋がりがつくられています。在宅医の一番の問題は、医師と看護師の数が全く不足していること。これを補うため、在宅医の間で一緒に患者を診るなどの新しい試みも始まりました。訪問看護ステーション『はな』では、一般病院の看護師を訪問看護の現場で研修させる活動を続けています。▽在宅医療にかかわる医師、看護師、患者、家族を見つめます。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2025.07.13(日)

 太平洋戦争末期の昭和20年8月13日、鹿児島県奄美群島にある加計呂麻島で島尾敏雄(当時海軍中尉)は特攻戦発動の信令を受けた。木製ボートの先端に250Kg爆弾を積んだ特攻艇「震洋」。決して生きては帰れない運命を担った隊員は52名。島は緊張に包まれた。美しい海、泣きたくなるほどの赤い夕焼け。南島の濃厚な風景が、その緊張を一層張り詰めたものにした。また島尾隊長は極限の日々を過ごす南島で、島の娘・ミホと恋におちていた。ミホは「震洋」発進の命令が下ったら基地の港の出口・呑之浦に身を投じて自決する覚悟でいた。しかし、14日を過ぎ、15日を迎えても、発進の命令は下らなかった。日本全面降伏により島尾隊長以下51名は生き残ったのだ。 島尾伸三さん(東京在住)、共に小説家の島尾敏雄・ミホさんを父母にもつ写真家である。父のふるさと奄美大島には、今でも年に数回帰省しており父母たちの見た戦争体験の風景はしっかりと刻まれている。今だに世界のどこかで戦争が繰り返され、日本政府は尖閣列島問題で加計呂麻島がある瀬戸内町に自衛隊の防衛隊を配備することを決めた。さらに2015年秋、国会で安保法案が可決されるなど、父母たちの青春時代の1ページが見え隠れし始めている。番組では、戦争末期必死に生きた父母たちの軌跡を伸三さん家族がたどり、戦争を知らない世代の視点から戦争の絶望を描く。

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