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これまでの放送内容

2009年6月28日(日)

チームで救え! ~桟橋落下事故と大分DMAT~

1月23日に発生した造船所事故では、桟橋が落下して2人が死亡、24人が重軽傷を負った。現場に投入されたDMAT隊員たちは、現地に医療活動が出来る救護所などを急ごしらえして負傷者の救命活動を行った。

一度に多数の患者に対してドクターやナース・点滴液などの医療資源には、おのずと限界がある。限られた資源を効率的に救命につなげるために行われるのが、負傷程度により患者を区分けするトリアージだ。

トリアージについては、国内のほかの事例で当該遺族からドクターに対して訴訟が起こされるなど、災害現場での医療手段としての国民的コンセンサスの醸成が待たれている。
現場に投入された大分DMATは、去年春に発足したばかりの新組織である。最小単位をドクター1人、ナース1人と小規模にしたり出動基準を緩和するなどユニークな組織と活動はローカル県での活動としては、すでに数多くの成果をもたらしている。番組では、大分DMATの組織づくりに奔走する若い外科医の救急医療への強い思いやDMATに携わるドクター・ナース・救急隊員たちの生の声を拾いながら災害医療のあり方を考えるとともに、医師不足など地域医療の抱える課題にも果敢に挑戦する大分DMATの試みも紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2026.03.08(日)

100年前の1926年、現在の熊本県山鹿市鹿本町で、15歳の芹川文彰(せりかわ・ぶんしょう)さんが無声映画『実録 忠臣蔵』(1926年公開)を鑑賞。その記憶を頼りに3年をかけて、映画を丸ごと絵で再現したペン画集を作った。迫力あふれるタッチ、フキダシの中のセリフ、スピード感の描写などはまるでマンガのようだ。約500コマ、160ページにも及ぶ。しかし、それは家族以外の誰の目にふれることもなく、実家に眠っていた。芹川さんは東京の美術学校に進学し、病気のために中退。熊本に帰り、人付き合いはほとんどせず、実家で絵を描いて暮らした。最後の4年間は入院し、そこで描いた絵を病院のスタッフに全て譲り、73歳で亡くなった。2020年、伯父・文彰の遺品であるペン画集を芹川英治(えいじ)さんに見せてもらった元新聞記者の松尾正一(まつお・しょういち)さんは驚き、京都の『おもちゃ映画ミュージアム』に見てもらった。偶然にもそこには、元の映画の66分短縮版フィルムが寄贈されていた。文彰さんのペン画集はそれを補完する映画史の資料として、また、マンガ史を語る上で貴重な資料とされている。ペン画集は「キネマ画」と名付けられ、2021年と2024年にそれぞれ京都で活動写真弁士・坂本頼光さんとピアニストの天宮遥さんによって上演され、絶賛された。そして、熊本市でも2025年12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に活弁上演会を開催。300席の会場は満席となり、90分に及ぶ大迫力の活弁と情感あふれるピアノ演奏で大成功を収めた。番組では芹川文彰さんが描いたキネマ画『忠臣蔵』の魅力を伝え、それをよみがえらせるために奔走する人々の思いを見つめる。

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