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これまでの放送内容

2009年6月21日(日)

なぜ息子が… ~健太さんの死が訴えるもの~

2007年9月25日午後6時頃。いつものように自転車で帰宅途中の青年が、自宅まであと少しの場所で、5人の警察官に“取り抑え”られ、直後に死亡した。青年の名は安永健太さん(25)。知的障害者だ。

障害者のスポーツの祭典、スペシャルオリンピックスに佐賀県から初めて日本代表に選ばれ、リレーで銀メダルを獲得した。警察は当初、安永さんが「車と車の間を縫うように自転車で車道を蛇行運転、パトカーの停止命令に従わず、信号待ちしていた原付バイクにぶつかり暴れたため“保護”した」と説明。安永さんを「精神錯乱状態と判断し、知的障害者とは分からなかった」と。安永さんは後ろ手に手錠をかけられていた。「死んで“保護”はないでしょう」と警察に不信感を募らせる父。「警察が、知的障害者と分かっていたら…」その言葉が重くのしかかる。 障害者が地域で安心して暮らせる社会を目指すとした『障害者自立支援法』。この問題は、その受け皿が整っていないことも示した。二度と起こさないために…。障害者と見分けがつくように『ラベリング』を…。いや、逆に犯罪に巻き込まれてしまう…。苦悩を続ける施設関係者。知的障害者への理解を深めてもらう活動は、今も続く。 安永さんが亡くなって1年が過ぎた頃、一通の封書が届く。遠く離れた東京・町田市の知的障害者の母からだった。そこには、安永さんの死を二度と繰り返さないために作った『SOSボード』が。「安永さんの死は無駄になっていない…」と。

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2025.07.13(日)

 太平洋戦争末期の昭和20年8月13日、鹿児島県奄美群島にある加計呂麻島で島尾敏雄(当時海軍中尉)は特攻戦発動の信令を受けた。木製ボートの先端に250Kg爆弾を積んだ特攻艇「震洋」。決して生きては帰れない運命を担った隊員は52名。島は緊張に包まれた。美しい海、泣きたくなるほどの赤い夕焼け。南島の濃厚な風景が、その緊張を一層張り詰めたものにした。また島尾隊長は極限の日々を過ごす南島で、島の娘・ミホと恋におちていた。ミホは「震洋」発進の命令が下ったら基地の港の出口・呑之浦に身を投じて自決する覚悟でいた。しかし、14日を過ぎ、15日を迎えても、発進の命令は下らなかった。日本全面降伏により島尾隊長以下51名は生き残ったのだ。 島尾伸三さん(東京在住)、共に小説家の島尾敏雄・ミホさんを父母にもつ写真家である。父のふるさと奄美大島には、今でも年に数回帰省しており父母たちの見た戦争体験の風景はしっかりと刻まれている。今だに世界のどこかで戦争が繰り返され、日本政府は尖閣列島問題で加計呂麻島がある瀬戸内町に自衛隊の防衛隊を配備することを決めた。さらに2015年秋、国会で安保法案が可決されるなど、父母たちの青春時代の1ページが見え隠れし始めている。番組では、戦争末期必死に生きた父母たちの軌跡を伸三さん家族がたどり、戦争を知らない世代の視点から戦争の絶望を描く。

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