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これまでの放送内容 -テレビ長崎(KTN)-

2011年11月27日(日)

田んぼに学ぶ ~元警察官の生きる道~

長崎市西海町で無農薬にこだわった米づくりに励む男がいます。甲田哲美さん(68)。実は、彼、以前の職業は警察官。定年を前に退職し、農業へ転身しました。美味しい米を作る立役者は、合鴨たち。合鴨農法で、安全・安心な米を作ることにこだわっています。

農業を始めて6年目。鍬を持つこともほとんど無かった甲田さんが、どうして農業の道へ進んだのか…。これまでの生き方に疑問を持つようになったからです。組織に身を置くことへの価値が見出せなくなり、自分を見つめ直す時間を求めた結果の選択でした。地域の人々との交流や、食のありかたなど、甲田さんが見つけた理想の生き方を描きます。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年10月9日(日)

幸せのしずく

長崎市の特別養護老人ホーム「こえばる」で働く上田祥世さん(28)はいつも楽しそうにリビングやトイレを掃除する。

彼女は知的障害を抱えているけれど尊い精神をたくさん持っていて人間のあるべき姿を気づかせてくれる。毎日、額に汗して、真面目にこつこつと働き、きつくても不平を言ったり誤魔化したりしない。人を悪く思ったり、傷つけたりしない。綺麗になるのがただ嬉しくて掃除をする純粋な人だ。

そんな彼女の周りにはお年寄りと介護スタッフ、そして家族との温かい触れ合いがある。お年寄りは病気の後遺症や認知症を抱えながらも薄らいでいく記憶の中であの頃を懐かしんだり、日常のささやかな出来事に小さな幸せを感じて生きている。今は思い出すことができなくても心のどこかで覚えていると感じさせるお年寄りからは過ごしてきた長い人生の幸せや悲しみなどその瞬間瞬間が伝わってくる。番組ではひた向きに働く20代の女性の純粋さと失われる記憶の中でお年寄りがみつめる心の風景を描く。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年7月23日(土)

幸せのしずく

長崎市の特別養護老人ホーム「こえばる」で働く上田祥世さん(28)はいつも楽しそうにリビングやトイレを掃除する。

彼女は知的障害を抱えているけれど尊い精神をたくさん持っていて人間のあるべき姿を気づかせてくれる。毎日、額に汗して、真面目にこつこつと働き、きつくても不平を言ったり誤魔化したりしない。人を悪く思ったり、傷つけたりしない。綺麗になるのがただ嬉しくて掃除をする純粋な人だ。

そんな彼女の周りにはお年寄りと介護スタッフ、そして家族との温かい触れ合いがある。お年寄りは病気の後遺症や認知症を抱えながらも薄らいでいく記憶の中であの頃を懐かしんだり、日常のささやかな出来事に小さな幸せを感じて生きている。今は思い出すことができなくても心のどこかで覚えていると感じさせるお年寄りからは過ごしてきた長い人生の幸せや悲しみなどその瞬間瞬間が伝わってくる。番組ではひた向きに働く20代の女性の純粋さと失われる記憶の中でお年寄りがみつめる心の風景を描く。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年5月28日(土)

オイたち五人の鍛冶屋兄弟

長崎県島原市で鍛冶屋に生まれた11人兄弟。 9人の男兄弟全員が家業を継ぎました。 現在5人が現役で働いています。

最年長は、次男の吉田則行さん90歳。まだまだ現役です。穏やかに、楽しみながら仕事をする兄弟たちの日々は、日頃私たちが忘れがちな家族への思いやりや、家族のつながりを思い出させてくるようです。そんな中、兄弟にある出来事が起こりました。こんな時こそ力を合わせたい。そう願う兄弟たちは、ある一つの挑戦を試みます。挑戦は成功するのでしょうか。そして兄弟たちの願いとは。

制作局テレビ長崎(KTN)

2011年3月6日(日)

オイたち五人の鍛冶屋兄弟

長崎県島原市で鍛冶屋に生まれた11人兄弟。 9人の男兄弟全員が家業を継ぎました。 現在5人が現役で働いています。

最年長は、次男の吉田則行さん90歳。まだまだ現役です。穏やかに、楽しみながら仕事をする兄弟たちの日々は、日頃私たちが忘れがちな家族への思いやりや、家族のつながりを思い出させてくるようです。そんな中、兄弟にある出来事が起こりました。こんな時こそ力を合わせたい。そう願う兄弟たちは、ある一つの挑戦を試みます。挑戦は成功するのでしょうか。そして兄弟たちの願いとは。

制作局テレビ長崎(KTN)

次回放送内容

OA:2025.04.27(日)

2011年3月11日東日本大震災。福島第一原子力発電所がある福島県は、放射線災害の被害も重なり広範囲の避難となりました。その福島にすぐに支援に入ったのが、長長崎大学の教授で、医師の高村昇さんです。高村さんは、被ばく医療の専門チームの中心人物で、被爆地・長崎だからこそ培ってきた技術や知識をもって、現地の支援にあたっています。「被爆地・長崎、そしてチョルノービリで学んだ知識を福島の人たちのために生かす―。」 13年に渡り被災住民に寄り添ってきた長崎の医師を取材しました。

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