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これまでの放送内容 -沖縄テレビ放送(OTV)-

2012年7月29日(日)

沖縄を返せ

日本への復帰を目指す沖縄で、熱狂的に歌われた歌「沖縄を返せ」。その伝説の歌の背景を探っていくと、日本と沖縄の複雑な関係と「復帰」の真の姿が見えてきた。

日本への復帰を目指す沖縄で、熱狂的に歌われた歌がありました。「沖縄を返せ」。その伝説の歌は、「復帰運動」という時代のうねりの中で、人々の思いをひとつに束ねる、そんな強い力をもっていました。40年前、その歌と共に、悲願の本土復帰を果たした沖縄。しかし、それは望んでいた「復帰」ではなかったのです。復帰後の沖縄では、あれほど人々から愛された「沖縄を返せ」は、急に歌われなくなり、時の彼方へと消え去ってしまいました。なぜあの歌は、あんなにも熱烈に愛され、憎まれたのか…。そして「沖縄を返せ」が生まれた背景を探っていくと、日本と沖縄の複雑に交差する想いと、「復帰」の真の姿が見えてきたのです。

出演者:【構成・演出】 山里孫存 【取材】 沖縄テレビ報道部「復帰を知る」取材班 【プロデューサー】 山里孫存 (沖縄テレビ) 正木伸一郎(テレビ西日本)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2012年6月24日(日)

Tip off!世界へ描くアーチ~バスケットマン 並里成~

プロバスケットボールプレイヤー並里成。バスケットボール世界最高峰のNBAでプレイすることを夢にもつ彼が、故郷・沖縄の熱い期待を背負って戦う1年を追った物語。

「ファンタジスタ」と呼ばれているプロバスケットボールプレイヤー並里成。沖縄県本島中部に位置する沖縄市・基地の街『コザ』で生まれ育った彼は、幼い頃から、アメリカ人とバスケットボールをし、本場アメリカのプレイを体験してきた。そんな彼の夢はバスケットボール世界最高峰のNBAでプレイすること。その夢を叶えるために、高校は沖縄を離れ、外国人留学生を受入れていた福岡第一高等学校に自ら希望して進学。そこではチームを全国優勝に導くなど、数々の栄光に輝いた。更に、バスケットボールで人気を集めた伝説の漫画『スラムダンク』の著者・井上雄彦さんが設立した『スラムダンク奨学金』の第1期生に選ばれ、今や日本のバスケットボール界期待の星となっている。そんな彼が、このシーズン故郷・沖縄のチーム 琉球ゴールデンキングスに1年間限定で入団。シーズン序盤からスーパープレイを炸裂し、観客も熱狂!しかし、その期待の裏には、自分のプレイスタイルに苦悩する並里の姿が…。並里が、故郷・沖縄の熱い期待を背負って戦う1年を追った物語。

出演者:並里 成

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2012年4月8日(日)

大切なことは目に見えない~沖縄盲学校の母~

「沖縄盲学校の母」と慕われる中村文さん。「見えないこと以外は何でもできる」と信じて、盲教育の道を切り開いてきた。

主人公は中村文さん。みんなから「文先生」と呼ばれて慕われている女性。2010年に、カジマヤー(数え歳97歳を祝う沖縄の風習)を迎えた96歳です。沖縄盲教育の礎を築いてきた彼女は、「沖縄盲学校の母」と慕われ、今でも点字指導では右に出る人がいない第一人者です。『視覚障害者は“百聞は一触にしかず”ですよ』と話す文先生。手で触って物事を捉え、イメージを広げていくという文先生の理念は、今も盲教育の現場に受け継がれています。全盲のテノール歌手・新垣勉さんも、文先生の教え子の一人。なかなか点字が覚えられなかった勉さんに、文先生は粘り強く教え続け、点字楽譜も読めるように指導しました。全国で活躍する勉さんの音楽生活の土台は、文先生によって築かれたと言っても過言ではありません。「教育はすごい」。中村文先生は、「見えないこと以外は何でもできる」と信じて、盲教育の道を切り開いてきたのです。

出演者:中村文 新垣勉(テノール歌手)

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2012年1月15日(日)

オキナワ発! お笑い米軍基地のアツい一日

沖縄の人々が、熱狂している笑いがある。

それが「お笑い米軍基地」だ。沖縄生まれ沖縄育ちのお笑い芸人たちが、深刻な「基地問題」を徹底的にパロディー化して、笑いの舞台に変換!2005年にスタートした「お笑い米軍基地」は、今や沖縄の人々が、年に一度の新作公演を待ちわびる人気舞台へと成長した。

そんな大人気の「お笑い米軍基地」誕生の裏には、沖縄中を震撼させた、米軍ヘリ墜落事故の衝撃があった。笑いの原点に向き合った、沖縄のお笑い芸人たちのアツい1日に密着した。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2011年11月6日(日)

大切なことは目に見えない ~沖縄盲学校の母~

主人公は中村文さん。みんなから「文先生」と呼ばれて慕われている女性。

去年、カジマヤー(数え歳97歳を祝う沖縄の風習)を迎えた96歳です。沖縄盲教育の礎を築いてきた彼女は、「沖縄盲学校の母」と慕われ、今でも点字指導では右に出る人がいない第一人者です。『視覚障害者は“百聞は一触にしかず”ですよ』と話す文先生。手で触って物事を捉え、イメージを広げていくという文先生の理念は、今も盲教育の現場に受け継がれています。

全盲のテノール歌手・新垣勉さんも、文先生の教え子の一人。なかなか点字が覚えられなかった勉さんに、文先生は粘り強く教え続け、点字楽譜も読めるように指導しました。全国で活躍する勉さんの音楽生活の土台は、文先生によって築かれたと言っても過言ではありません。「教育はすごい」。中村文先生は、「見えないこと以外は何でもできる」と信じて、盲教育の道を切り開いてきたのです。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

次回放送内容

OA:2025.12.07(日)

戦後80年、今年も終戦の夏を迎えた。熊本県八代市坂本町鮎帰(あゆがえり)にある西福寺(浄土真宗本願寺派)の山本隆英住職(87歳)は、その節目にちなんで或る企画を進めていた。夏の法要と合わせて行う戦時資料の展示会だ。布教本、聖典、教団からの手紙、さらに旧陸軍省からの感謝状などお寺に残されていたものだ。この中で、往時の軍国主義を窺わせる象徴的なものが在る。紙芝居の中で、お寺の副住職に赤紙(召集令状)が届く場面は『天皇陛下のお召しだったのであります』と紹介されている。戦意高揚を謀り、教団が国にがんじがらめに宗教統制されている様が垣間見える。戦争を賛美する資料の数々、山本住職は展示会でこれらと戦没者の家々を回り撮り溜めた遺影を紹介した。お寺に法要に来た門徒らは悲痛な面持ちでムラの戦争を感じ取っていた。満州事変に始まり日中戦争から太平洋戦争へと突き進んだ日本は、この十五年戦争で約310万の国民が犠牲になった。ムラでは105人が戦死したと云う。兵隊の命は“一銭五厘”と言われ、ハガキ(召集令状)の値段と同じ値打ちしかないと軽視されたのである。あの戦争から80年、日本人は何を学んだのか。終わりが見えないウクライナ紛争や台湾をめぐる情勢など、世界各地で平和が脅かされている。日本人の誰しもが願っているのは、日本が再び戦争への道に向かわないことだ。番組は、国策に抗うことなく戦争協力していった教団の過去の事実に目を向け、懸命に反戦を唱える山本住職の一念に迫る。

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