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これまでの放送内容 -テレビ大分(TOS)-

2009年10月25日(日)

「ただいま」 ~伊勢正三・38年目の初コンサート~

5月19日、デビュー38年目を迎えたシンガーソングライター・伊勢正三さんが、初めてのふるさとコンサートを出身地・大分県津久見市で開いた。

“かぐや姫”“風”時代から「なごり雪」「22才の別れ」「ささやかなこの人生」「海岸通り」と数々の国民的な楽曲を生み出してきた伊勢さんには、地元からコンサート開催を求める熱烈的な要望が届いていた。しかし、当初は自分の出身地という特別な場所へのこだわりからこれを断り、また年齢が進んでからも高い音楽性への追求から実現しなかった。2002年・2007年と地元をテーマに撮影された大林映画のモチーフになるなど、60歳を前にふるさとへのベクトルは徐々に向き始めついにこの春実現した。番組では、伊勢さんのたどった道をナイーブな詩の世界を生み出したふるさとの原風景を辿りながら紹介するとともにコンサートの様子を伝える。また、コンサート実現にこぎつけた同級生らの思いも綴りふるさとの持つ意味を考える。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年9月27日(日)

「ただいま」 ~伊勢正三・38年目の初コンサート~

5月19日、デビュー38年目を迎えたシンガーソングライター・伊勢正三さんが、初めてのふるさとコンサートを出身地・大分県津久見市で開いた。

“かぐや姫”“風”時代から「なごり雪」「22才の別れ」「ささやかなこの人生」「海岸通り」と数々の国民的な楽曲を生み出してきた伊勢さんには、地元からコンサート開催を求める熱烈的な要望が届いていた。しかし、当初は自分の出身地という特別な場所へのこだわりからこれを断り、また年齢が進んでからも高い音楽性への追求から実現しなかった。2002年・2007年と地元をテーマに撮影された大林映画のモチーフになるなど、60歳を前にふるさとへのベクトルは徐々に向き始めついにこの春実現した。番組では、伊勢さんのたどった道をナイーブな詩の世界を生み出したふるさとの原風景を辿りながら紹介するとともにコンサートの様子を伝える。また、コンサート実現にこぎつけた同級生らの思いも綴りふるさとの持つ意味を考える。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年6月28日(日)

チームで救え! ~桟橋落下事故と大分DMAT~

1月23日に発生した造船所事故では、桟橋が落下して2人が死亡、24人が重軽傷を負った。現場に投入されたDMAT隊員たちは、現地に医療活動が出来る救護所などを急ごしらえして負傷者の救命活動を行った。

一度に多数の患者に対してドクターやナース・点滴液などの医療資源には、おのずと限界がある。限られた資源を効率的に救命につなげるために行われるのが、負傷程度により患者を区分けするトリアージだ。

トリアージについては、国内のほかの事例で当該遺族からドクターに対して訴訟が起こされるなど、災害現場での医療手段としての国民的コンセンサスの醸成が待たれている。
現場に投入された大分DMATは、去年春に発足したばかりの新組織である。最小単位をドクター1人、ナース1人と小規模にしたり出動基準を緩和するなどユニークな組織と活動はローカル県での活動としては、すでに数多くの成果をもたらしている。番組では、大分DMATの組織づくりに奔走する若い外科医の救急医療への強い思いやDMATに携わるドクター・ナース・救急隊員たちの生の声を拾いながら災害医療のあり方を考えるとともに、医師不足など地域医療の抱える課題にも果敢に挑戦する大分DMATの試みも紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

2009年5月17日(日)

チームで救え! ~桟橋落下事故と大分DMAT~

1月23日に発生した造船所事故では、桟橋が落下して2人が死亡、24人が重軽傷を負った。現場に投入されたDMAT隊員たちは、現地に医療活動が出来る救護所などを急ごしらえして負傷者の救命活動を行った。

一度に多数の患者に対してドクターやナース・点滴液などの医療資源には、おのずと限界がある。限られた資源を効率的に救命につなげるために行われるのが、負傷程度により患者を区分けするトリアージだ。

トリアージについては、国内のほかの事例で当該遺族からドクターに対して訴訟が起こされるなど、災害現場での医療手段としての国民的コンセンサスの醸成が待たれている。
現場に投入された大分DMATは、去年春に発足したばかりの新組織である。最小単位をドクター1人、ナース1人と小規模にしたり出動基準を緩和するなどユニークな組織と活動はローカル県での活動としては、すでに数多くの成果をもたらしている。番組では、大分DMATの組織づくりに奔走する若い外科医の救急医療への強い思いやDMATに携わるドクター・ナース・救急隊員たちの生の声を拾いながら災害医療のあり方を考えるとともに、医師不足など地域医療の抱える課題にも果敢に挑戦する大分DMATの試みも紹介する。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2025.08.17(日)

太平洋戦争末期の1944年、地上戦が迫っていた沖縄。国は、戦闘の足手まといになるとして、沖縄の子どもたちを九州へと移動させる「学童疎開」を推し進めました。親元を離れ、九州各県へと向かった子どもたちを待ち受けていたのは貧しい暮らしでした。当時の記憶を次の世代につないでいくために、去年、沖縄では学童疎開を追体験する研修が企画されました。県内の小学5・6年生が参加したなか、特別な想いを抱いて研修に臨んだのが眞榮城百恵さん(11)です。百恵さんのひいおばあちゃん、糸数裕子さん(享年97)は学童疎開の引率教師として、終戦まで宮崎に身を寄せ苦労の日々を送った体験がありました。ひいおばあちゃんの過去や当時の子どもたちのことを知りたいと、百恵さんは宮崎の地を訪れたのでした。

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