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これまでの放送内容 -2020年-

2020年10月13日(火)

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人生は喜劇なり

沖縄芝居の劇団・でいご座を率いる座長・仲田幸子(88)。「喜劇の女王」として舞台に立ち、人情と笑いにあふれる劇団でいご座をけん引してきたが…

沖縄芝居の劇団・でいご座を率いる座長・仲田幸子(88)。「喜劇の女王」として舞台に立ち、人情と笑いにあふれる劇団でいご座をけん引してきた、元気な「沖縄のおばあちゃん」。そんなでいご座の座長が去年「大きな舞台からは引退する」と明言した。座長は、体力面の不安に直面していたのだった。彼女の心の機微をそばで見続け、支えてきたのが、孫であり座員の仲田まさえさん。おばあちゃんの生きがいは、人々を笑顔にすることだと感じ取っている。ところが今年、幸子さんは日々の活動拠点である店舗の営業を辞めることにしたのだった。そこに、予想だにしなかった新型コロナウイルスの不安が襲い掛かり・・・。様々な心境の変化に揺れ動く88歳・仲田幸子さんの心境の変化を、孫の視点を交えながら伝える。

出演者:仲田幸子 仲田まさえ 仲田和子 仲田明美 上間基 山川宗春 平良大

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年10月6日(火)

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先生になりたい

肢体不自由・視覚障害・聴覚障害のある橋本紗貴さん(24)の夢は『学校の先生』。様々な壁にぶつかりながらも夢への挑戦を続ける彼女の姿を追った。

南関町に住む橋本紗貴さん(24)。運動が大好きだった彼女は、中学2年の体育祭で突然倒れギランバレー症候群という神経の難病を発症し人生が一変する。目を覚ますと体が動かず、目も見えず、耳も聞こえない。いくつもの重い障害が重なる『重度重複障害者』となった。しかし当時の担任が寄り添ってくれたことで紗貴さんは学校の教員を志すことに。だが進学した高校では逆に先生から心無い言葉をかけらる毎日に心を痛めてしまう。『障害者も健常者も共に学べる社会に』。教員という夢を改めて強く意識していった彼女は、進学した大学では、複数のパソコンや聴覚補助器具などを机に並べ、機器を操作しながら健常者と同じ環境を自ら作り授業を受けていた。彼女の信念は「工夫し努力すれば出来ないことはない」。その言葉通り、熊本県では重度重複障害者の採用例はないものの、教員採用試験に挑戦。これまでの制度が壁となり一度は失敗するも、紗貴さんの諦めない気持ちと行動が徐々にその壁を取り払っていく。私たちは彼女が大学3年だった2017年から取材を開始。彼女が様々な困難に立ち向かい、一つずつ壁を乗り越え、夢へと挑みつづける姿を描く。

出演者:橋本紗貴さん

制作局テレビ熊本(TKU)

2020年9月29日(火)

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笑顔の料理

コロナ禍の湯布院にイタリア料理店をオープンさせた松永幸治さん。全力で料理と向き合ってきた料理人の秘めた思いとは・・・

今年4月16日、新型コロナによる非常事態宣言が全国に拡大された。コロナ感染拡大予防のため、全国各地の旅館や飲食店などが休業を余儀なくされるなか、全国でも有数の観光地、湯布院からも人が消えた。それでもあえて店をオープンさせたイタリア料理の料理人がいる。松永幸治さん(44)。松永さんが本格的に料理の道を志したのは27歳の時。年下の先輩ばかりだった厳しい修行時代。それでも決して諦めることなく全力で料理と向き合ってきた。「何があっても料理人として生きて行く」そう心に決めたきっかけとなったのは10数年ぶりの大切な友人との再会。しかしその時、彼にはもう余命がなかった…。何があっても真っ直ぐに、そして全力で料理と向き合ってきた料理人の秘めた思いを描く。

出演者:松永幸治さん 【ナレーター】 田中愛佳

制作局テレビ大分(TOS)

2020年9月22日(火)

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とみ先生と風疹児たち

かつて「風疹児」と呼ばれた子供たちは今では50代。風疹児たちが小さい頃から言葉の教育にあたってきた先生は90代に。先生と教え子の交流は今も続いていた・・・。

沖縄市で開かれたとある同窓会「とみ先生を囲む会」。とみ先生とは、仲本とみさん、93歳。会場には、50代になった教え子とその親たちがいた。ここに集まった人たちは、1964年から65年にかけて沖縄で風疹が流行し、その影響で聴覚障害児として生まれた子供たちとその親。子供たちはかつて「風疹児」と呼ばれた。高校卒業までの風疹児たちに接し、言葉の教育をしてきたとみ先生と教え子たちには今も、信頼の絆が結ばれている。とみ先生の証言と、風疹児親子の横田初枝さん、横田弘正さんの今を伝えながら、風疹児たちが歩んできた人生と、親の思いを辿る。

出演者:仲本とみ 横田初枝 横田弘正・律子 木村まち子 その他教え子たち

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2020年9月15日(火)

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ようこそ!限界集落へ

佐賀市富士町苣木地区は、高齢者が半数を超えた限界集落。そこでマウンテンバイクを走らせてもらう代わりに地区活動を手伝う若者たちと、受け入れた住民たちの交流を描く。

佐賀市富士町苣木(ちやのき)地区は、住民30人余りのうち半数以上が65歳以上の高齢者である限界集落。
主要産業の農業は、害獣が多く天候に影響されやすいなど困難が多く、交通の便も、車がないと通勤通学も難しい場所。
苣木地区に7年ほど前に来たのが福岡マウンテンバイク友の会のメンバー。彼らは、苣木地区の山でマウンテンバイクを走らせてもらう代わりに地区の清掃活動などを手伝っている。高齢化により住民だけで清掃活動をするのはとても大変なため、住民たちは「とても助かっている」と口を揃える。
2017年から毎年8月に苣木自治会と友の会は共同でマウンテンバイク大会を開催していて、今年は3回目の開催を迎えた。そこに向けて、友の会代表の増永英一さんはある思いを住民たちに打ち明けた。
マウンテンバイク大会本番は迫力満点。全国からトップクラスのライダーが集まり、普段は時間の流れが止まっているように静かな苣木の集落で1000分の1秒を争う熱い戦いが繰り広げられる。

出演者:佐賀市富士町苣木地区の住民 福岡マウンテンバイク友の会のメンバー 他

制作局サガテレビ(STS)

次回放送内容

OA:2026.09.13(日)

 菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長は今年1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島初遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。

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