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これまでの放送内容 -テレビ熊本(TKU)-

2011年8月14日(日)

中学生たちの戦争 ~追想画が伝える学徒動員~

熊本県の旧制人吉中学の同窓会が今年も開かれた。昭和17年4月の入学。彼らは3年生の時に戦争を背負わされた。学徒動員である。

男たちは戦争にとられ、生産現場は空洞化。中学生や女学生が労働力となった。西峯さんら人吉中の生徒たちは長崎の海軍工場に動員、到着5日目に戦争という現実を目のあたりにする。B29の大空襲だった。同じ熊本から動員されていた御船中の仲間たちに犠牲者が出た。死がすぐそこにあった。

戦争が全てだった時代…深刻な食糧事情が中学生たちを苦しめた。朝から夜まで、今日も明日も「ひもじい」。それは2度と体験したくない日々だった。そんな我が子を思い、親たちは食料を運んでくれた。ただし校則で差し入れは御法度。西峯さんたちは、それぞれの隠れ家で、親たちと会い空腹を満たした。親たちは自分たちの分を削って、我が子へ食料を届けた。西峯さんは、そんな母の愛を防空頭巾に感じていた。「僕の頭巾は他の人より一廻り大きかった」。こうした学徒動員の記憶を、西峯さんは追想画にして画集にした。次の世代に語り継ぐべき戦争。西峯さんの動員学徒追想画は、平和への願いである。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年7月3日(日)

剣の道で人をつくる ~九学学院剣道部監督 米田敏郎の挑戦~

全国でも強豪として名の通った九州学院剣道部。2009年、全日本剣道選手権大会で日本一に輝いた内村良一(警視庁)さんも九州学院出身。

剣道王国・熊本で絶対的な王者として君臨し、選抜やインターハイ、玉竜旗など、全国大会でも数多くのタイトルを獲得してきた九州学院剣道部。その九学剣道部を毎年強豪に仕立て上げるのが米田敏郎監督。自身も九州学院出身で全日本剣道選手権大会の出場経験を持つ監督である。しかし去年9月、3年生が引退しスタートした新チーム。米田監督は新キャプテンを決め切れずにいた。

米田監督いわく『史上最弱のメンバー』。これまでの選手には伝わってきた言葉が、今年は通じない。技術面の教えもなかなか浸透しない。「声を出せ」「勝ちたいという気持ちを出せ」。まるで初心者にかけるような言葉が九学の剣道場に響いていた。これまで、どんなに弱いと言われるチームでも、全国に通用するチームに育ててきた米田監督。そんな名将が一人頭を抱えていた。斉藤新キャプテンのもとスタートを切った『弱小・九学剣道部』。彼らがどのように成長するのか、また米田監督がどんな風に悩み、工夫し、どのようなチームに作り上げるのか。日本一になるために、人格を育て、真の強さを追求する人間・米田敏郎。選手と共に挑むこれまでで最も難しい『日本一』への挑戦を半年間追った。

制作局テレビ熊本(TKU)

2011年3月27日(日)

剣の道で人をつくる ~九学学院剣道部監督 米田敏郎の挑戦~

全国でも強豪として名の通った九州学院剣道部。2009年、全日本剣道選手権大会で日本一に輝いた内村良一(警視庁)さんも九州学院出身。

剣道王国・熊本で絶対的な王者として君臨し、選抜やインターハイ、玉竜旗など、全国大会でも数多くのタイトルを獲得してきた九州学院剣道部。その九学剣道部を毎年強豪に仕立て上げるのが米田敏郎監督。自身も九州学院出身で全日本剣道選手権大会の出場経験を持つ監督である。しかし去年9月、3年生が引退しスタートした新チーム。米田監督は新キャプテンを決め切れずにいた。

米田監督いわく『史上最弱のメンバー』。これまでの選手には伝わってきた言葉が、今年は通じない。技術面の教えもなかなか浸透しない。「声を出せ」「勝ちたいという気持ちを出せ」。まるで初心者にかけるような言葉が九学の剣道場に響いていた。これまで、どんなに弱いと言われるチームでも、全国に通用するチームに育ててきた米田監督。そんな名将が一人頭を抱えていた。斉藤新キャプテンのもとスタートを切った『弱小・九学剣道部』。彼らがどのように成長するのか、また米田監督がどんな風に悩み、工夫し、どのようなチームに作り上げるのか。日本一になるために、人格を育て、真の強さを追求する人間・米田敏郎。選手と共に挑むこれまでで最も難しい『日本一』への挑戦を半年間追った。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年10月24日(日)

八千代の願い ~世代を越えた架け橋・八千代座~

熊本県北部に位置する山鹿市の芝居小屋『八千代座』は1910年に建設され、今年100周年を迎えます。

升席、桟敷などの客席構成や人力で回す廻り舞台、花道、すっぽんと呼ばれるセリなどの舞台機構は日本の伝統的な様式を伝え、古典劇場として日本で3番目に国の重要文化財に指定されました。

現在も観光地としてだけではなく、実際に舞台やコンサートなどで使用されている劇場です。その八千代座は大正から昭和初期にかけ隆盛の時代を築きましたが、大衆娯楽の変化により衰退、一時閉鎖した時代もありました。しかし復興を願う市民の活動により、かつての姿を取り戻しました。それぞれの時代で多くの人々が関わってきた八千代座。番組では、幼少の頃から八千代座と親しんできた男性に密着。八千代座と向き合ってきた姿を通して脈々と受け継がれる八千代座が生んだ市民の想いを紹介します。

制作局テレビ熊本(TKU)

2010年9月19日(日)

八千代の願い ~世代を越えた架け橋・八千代座~

熊本県北部に位置する山鹿市の芝居小屋『八千代座』は1910年に建設され、今年100周年を迎えます。

升席、桟敷などの客席構成や人力で回す廻り舞台、花道、すっぽんと呼ばれるセリなどの舞台機構は日本の伝統的な様式を伝え、古典劇場として日本で3番目に国の重要文化財に指定されました。

現在も観光地としてだけではなく、実際に舞台やコンサートなどで使用されている劇場です。その八千代座は大正から昭和初期にかけ隆盛の時代を築きましたが、大衆娯楽の変化により衰退、一時閉鎖した時代もありました。しかし復興を願う市民の活動により、かつての姿を取り戻しました。それぞれの時代で多くの人々が関わってきた八千代座。番組では、幼少の頃から八千代座と親しんできた男性に密着。八千代座と向き合ってきた姿を通して脈々と受け継がれる八千代座が生んだ市民の想いを紹介します。

制作局テレビ熊本(TKU)

次回放送内容

OA:2026.09.13(日)

 菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長は今年1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島初遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。

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