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これまでの放送内容 -テレビ大分(TOS)-

2014年12月21日(日)

復興へんろ道 74歳・本州一周徒歩の旅

東日本大震災復興への思いを込めて歩いた、ある男性の本州一周の旅に密着した。

日出町の尾畠春夫さん(74)は東日本大震災直後から、津波で被災した宮城県南三陸町にボランティアとして毎年訪れている。震災から3年、世間から被災地のことが次第に忘れられているのではないかと感じた尾畠さんはある行動にでた。それは本州一周を歩いて旅をすることだった。白装束を身にまとい、リュックに掲げた旗には目立つように書かれた「東日本大震災の復興を願う旅」の文字。奇抜なお遍路さんの格好をして歩く尾畠さんは出会った人たちに被災地のことを忘れないでと訴えた。旅の途中、尾畠さんは南三陸町へ立ち寄る。今回も町の為にボランティアをする尾畠さんだが、被災地のことを思い続けるのにはある理由があった。復興への思いを込めて歩いた尾畠さんの本州一周の旅に密着した。

制作局テレビ大分(TOS)

2014年11月16日(日)

夫婦ときどき、審判

大分市に住む20代の若い夫婦がいる。緒方孝浩さんと実央さん。実は二人は共に“サッカーの2級審判員”。「審判」に「仕事」に「夫婦生活」…緒方家の半年間を追った。

大分市に住む20代の若い夫婦がいる。緒方孝浩さんと実央さん。
実は二人は共に“サッカーの2級審判員”。それぞれ別の大学に通っていたが偶然同じ試合の審判を担当したのがきっかけで交際を始め2年前に結婚。
サッカーが大好きな孝浩さんと実央さんは週末ほとんど審判として笛を吹くため夫婦二人きりの時間は少ない。平日はお互い仕事があるため帰りが遅く家事全般が大変。夫婦で助けあいながら体力づくりのため夜は2人でランニング。すべては『夫婦でサッカー1級審判』になるため。孝浩さんは“Jリーグ”、実央さんは“なでしこリーグ”の試合を吹くのが夢…。受験資格を得ることさえ難しいといわれる女子1級試験、その試験に2013年度実央さんが挑戦することになった。「審判」に「仕事」に「夫婦生活」…緒方家の半年間を追った。

制作局テレビ大分(TOS)

2014年8月10日(日)

相撲に生きる

2012年に現役を引退し、親方となって1年足らずの「新米親方」、雷親方に密着し九州場所までの奮闘を追った。

大分県宇佐市出身の元小結垣添(かきぞえ)。現在は雷(いかずち)親方として後進の指導にあたっている。
2012年に現役を引退し、親方となって1年足らずの「新米親方」である。所属するのは元横綱武蔵丸、武蔵川親方が師匠となって運営する武蔵川部屋。
2013年4月に2年半ぶりに再興された部屋で、弟子はまだ4人。雷親方は武蔵川親方の元で「部屋付き親方」、いわばコーチとして働いている。
再興されて間もない今は小さなこの部屋で、新米親方は何を考え、そして何を思い相撲に携わっていくのか。
2013年11月に行われた九州場所までの奮闘を追った。

出演者:垣添徹(雷親方・元小結垣添) 1978年8月12日生まれ 大分県宇佐市出身

制作局テレビ大分(TOS)

2014年5月18日(日)

救える命を救いたい~大分県ドクターヘリ導入から1年~

大分県内を20分以内でカバーすることが可能なドクターヘリの運用が始まって1年。高度救命救急医療チームの活動を追った。

2012年10月大分県でドクターヘリの運航が始まった。ドクターヘリは大分県全域を20分以内でカバーする。
救命救急用の医療機器を装備しており、搭乗した医師や看護師らが現場で緊急医療を行うことができるため、地域医療の格差解消に大きく貢献すると期待されている。
この番組ではドクターヘリ導入に尽力した石井圭亮医師をはじめとする高度救命救急医療チームの活動の1年を追った。

出演者:大分大学医学部附属病院救命救急センター石井圭亮医師ほか高度救命救急医療チーム

制作局テレビ大分(TOS)

2014年4月20日(日)

夫婦ときどき、審判

大分市に住む20代の若い夫婦がいる。緒方孝浩さんと実央さん。実は二人は共に“サッカーの2級審判員”。「審判」に「仕事」に「夫婦生活」…緒方家の半年間を追った。

大分市に住む20代の若い夫婦がいる。緒方孝浩さんと実央さん。
実は二人は共に“サッカーの2級審判員”。それぞれ別の大学に通っていたが偶然同じ試合の審判を担当したのがきっかけで交際を始め2年前に結婚。
サッカーが大好きな孝浩さんと実央さんは週末ほとんど審判として笛を吹くため夫婦二人きりの時間は少ない。平日はお互い仕事があるため帰りが遅く家事全般が大変。夫婦で助けあいながら体力づくりのため夜は2人でランニング。すべては『夫婦でサッカー1級審判』になるため。孝浩さんは“Jリーグ”、実央さんは“なでしこリーグ”の試合を吹くのが夢…。受験資格を得ることさえ難しいといわれる女子1級試験、その試験に2013年度実央さんが挑戦することになった。「審判」に「仕事」に「夫婦生活」…緒方家の半年間を追った。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2025.01.26(日)

菊池恵楓園所者自治会の太田明副会長はこの年の1月、園内にかつて存在した野球チーム『オール恵楓』のユニホームを復刻した。それは園の憧れの的だった若者たちが着ていたものだった。園内で野球が盛んになったのは1930年で、居住区別の3チームと職員チームによる対抗戦が始まった。国による強制隔離が進み、いわゆる「患者狩り」に拍車がかかった結果、比較的症状の軽い高校生やノンプロ選手が入所したからといわれている。園内選抜チーム『オール恵楓』は1952(昭和27)年9月、トラックで初の県外遠征試合に出発。無断外出は厳しく処分されるおそれがあったが、患者たちは「園外で試合がしたい」と秘かに鹿児島県鹿屋市にある国立療養所星塚敬愛園の自治会と手紙をやり取りして、試合をする段取りをつけていた。トラックの荷台に布団を敷いて揺れに耐え、途中の道で警官に見つかった。運転手が「らい患者を輸送中だ」と偽ったところ、警官は「この道を通ったらいかん。山の中を通って行け」と蔑んだという。一行は約12時間かけて、星塚敬愛園に到着。1週間滞在して4試合を行い、2勝2敗だった。メンバーで一番若く補欠だった田中照幸さんは当時を懐かしく振り返った。一方、入所者自治会の太田明副会長は『オール恵楓』鹿児島発遠征の1952年、小学2年生のときに入所し、大いに野球を楽しんだ。そして、岡山県の国立療養所長島愛生園にかつて存在した『邑久高校 新良田教室』に進学し、野球部に所属。1960(昭和35)年夏、野球部は「俺達には修学旅行がないから、高校時代の思い出をつくろう」と園に「里帰りする」と偽って外出し、東日本5カ所の療養所を列車で巡る遠征試合を敢行した。園からの帰還命令を無視した大冒険に、太田さんは「あんな痛快で、開放感を味わったことはない」と振り返る。太田さんは恵楓園で野球が盛んだったことをを知ってもらおうと、恵楓園の一部施設跡地に2021年に開校した合志市立合志楓の森中学校野球部の部員と『オール恵楓』復刻ユニホームを着て、キャッチボールを楽しんだ。番組では、ハンセン病患者たちがいわれなき差別の中で見出した希望と情熱の日々を見つめる。

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