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これまでの放送内容 -テレビ長崎(KTN)-

2015年6月14日(日)

わがまちの被爆地図

87歳の被爆者が描いた原爆投下当時の町並み。被爆から69年、あの夏、きのこ雲の下にどんな暮らしが広がっていたのか、1枚の地図から思いを巡らせる。

2014年夏、長崎は原爆投下から69年となった。被爆者の高齢化が進む中、87歳の被爆者の江口淳二さんが昭和20年当時の町並みを思い出しながら1枚の地図を描いた。江口さんが暮らしていた長崎市五島町は原爆の爆心地から南に2.7キロ。延焼を免れた地域だと記録されている。しかし、被爆後の被害を写した写真などから江口さんの家も焼失したことがわかり、江口さんは燃えた自宅も含め記憶に残る町並みを地図に描いた。 被爆から69年経ち、「被爆者がいなくなる時代」が間近に迫っているのに、原爆被害についてまだわからないことが多くあるのだ。これまで原爆投下前の町並みを描いたいわゆる「復元地図」は、1970年から10年をかけて長崎市が作成事業に取り組み、爆心地から半径2キロ以内の1万世帯を記載している。しかし、爆心地から2キロ以遠では復元地図はもちろん、被爆体験の証言などの数は一気に少なくなる。 江口さんは娘にさえも体験を話してこなかった。もっとひどい体験をした人がいる、自分の体験など大したことがない、と思っていた。しかし、救護や死体処理をした体験も原爆被害を形作る貴重な証言だ。当時、18歳。「将来の夢はなく、戦争で死ぬのが一番の価値だと思っていた」と話す江口さん。69年前の戦争や原爆の話を聞けるのは、いま、まさに最後の時代を迎えている。

制作局テレビ長崎(KTN)

2015年5月24日(日)

おっが島と娘と歌と

長崎県五島市。15歳で島を離れる娘に、公務員を退職してミュージシャンになった父が歌を贈ります。

長崎県五島市。風光明媚な島で夏は観光客で賑わいます。ですが、ここ50年で人口は半分以下に減少。30年後はさらに半減するとも言われています。そんな五島を音楽で盛り上げたいと思うミュージシャン・ベベンコビッチさん。べベンコとは五島弁で仔牛の意味です。44歳で国家公務員を退職、4年前に故郷・五島へ戻ってきました。現在も五島弁の方言シンガーとして活躍中で、東京をはじめ全国でライブを行い、歌を通して五島の魅力を発信。音楽の力で人口流出を遅らせたいと考えています。しかし、その思いとは裏腹に、娘・はいりちゃんが高校進学で五島を離れることになりました。五島では若者の約9割が高校卒業と同時に島を離れます。はいりちゃんには、その別れが3年間、早く訪れたのです。小さい頃から父の姿を見て育ってきた、はいりちゃん。将来の夢は「いつか大きなステージで歌うこと」。そこで父・ベベンコビッチさんは、はいりちゃんと一緒に東京でライブを行います。父と娘で今しか出来ないことをやろうと思ったのです。しかしベベンコビッチさんはレコーディングのため、先に東京入り。はいりちゃんは1人で東京まで行かなくてはなりません。初めての東京、九州を出るのも初めて。右も左もわからないまま、はいりちゃんは東京を目指します。そして故郷・五島から離れれば離れるほど、自分の中の五島の存在の大きさに気付いていきます。

制作局テレビ長崎(KTN)

2015年3月15日(日)

いのちの葉を育んで~無農薬のお茶をつくる一家~

長崎県佐々町に、44年間無農薬のお茶をつくり続けている家族がいる。農薬を使うことが当たり前の時代、あえて無農薬をはじめた。険しい道のりを必死に歩む一家を追う。

長崎県北部、佐々町にある山頂茶園。ここで作られるお茶は、全国にファンがいる。そのお茶は無農薬有機栽培。あぜ道の雑草にいたるまで、一切の除草剤も使わない。お茶は北村さん一家が作っている。1950年代、一家の長、親二さんと母サツ子さんが岩だらけの山を必死で開拓し畑を作っていった。そんな両親を見て育った長男の誠さん、次男の正紀さんは、いつしか一家でお茶作りを始めた。1969年、お客さんの一言が一家の運命を変える。「無農薬のお茶が欲しい」。それまで当たり前とされてきた農薬によるお茶作り。それを一家は一切使わないと決意。しかしその道のりは想像を絶する険しいものになった。最初の5年間は、病気や害虫の大発生で、収穫量はそれまでの3分の1に減少。しかしあきらめなかった。試行錯誤を続けた。自然の中でいかに無農薬でいいお茶を作るか。一家は必死だった。やがてお茶の葉はそれに応えてくれた。無農薬をはじめて44年。その歩みの中で、お茶が一家に教えてくれたこと。そして、これからお茶が残せること。食卓からお茶のある風景が減っている今の世の中で、一家の考える大切なことを伝える。

制作局テレビ長崎(KTN)

2014年11月9日(日)

ふるさと鉄道 ローカル線からの風景

長崎県の県北から佐賀県にかけて走るローカル線「松浦鉄道」。かつて炭鉱路線として栄えた歴史と地域の身近な足として愛される鉄道を日々、支える人たちの物語。

松浦鉄道は、長崎県の佐世保から佐賀県の有田を結ぶ全長93.8キロの長い路線。かつては石炭を運ぶ路線として栄えた歴史があり、現在は地域の身近な足として愛される鉄道。多くのファンがいます。列車をカメラで撮影することに情熱を燃やす、撮り鉄。駅舎の風景に魅せられて、絵を描く女性。桜の名所となっている駅を守るボランティア。駅には、それぞれの物語がある。ローカル線から見た日々の風景とは・・。

制作局テレビ長崎(KTN)

2014年10月5日(日)

子宮応答せよ~布なぷきんからのメッセージ~

女性は生理の時に出血をコントロールでき、布なぷきんを使うと子宮の機能が目覚めると言われている。そんな生活を送ってほしいと布なぷきんを手作りする女性の活動を追う。

女性の子宮は生理の時に出血をコントロールできる機能が備わっているといわれている。布でできた「布なぷきん」を使うと、眠っている子宮の機能が目覚め、さらに自分自身を愛おしく感じるようにもなる。そんな子宮を感じる生活を送ってほしいと布なぷきんを手作りし、販売する女性の活動を追う。

制作局テレビ長崎(KTN)

次回放送内容

OA:2024.05.26(日)

鹿児島城西高校駅伝部は28人が所属する強豪校だ。そこに全国から注目を集める高校生がいた。立迫大徳くん(3年・18)。陸上の格闘技と言われる800mが専門で、2023年6月のU20アジア選手権で優勝を果たした世代ナンバーワンのトップランナーだ。しかし、成し遂げていないことがあった。“高校生の全国大会での優勝”。8月、満を持して臨んだ北海道でのインターハイで待っていたのは敗北だった。全力で戦った立迫くんにとって涙の夏になった。 高校生日本一になるチャンスはあと1回残されていた。2023年、51年ぶりに地元・鹿児島での開催となった国体だ。故郷での特別な大会に向けて、立迫くんはまた練習に励んだ。チームメート、監督、両親に支えられながら、走り続けた。迎えた10月17日。勝てば高校生日本一の大一番に立ちはだかったのは、インターハイで負けたライバルだった。全力の先につながる未来はー

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