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これまでの放送内容 -テレビ西日本(TNC)-

2017年4月30日(日)

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伝統を舁く

博多の夏の風物詩「博多祇園山笠」 775年続く伝統行事を地元に生まれた人、そうでない人が一丸となって次の世代へ継承している。

775年続く「博多祇園山笠」博多地区のお祭りとして知られる奉納神事ですが、地元の人口が減少傾向にある最近では、地元以外の参加者も増えてきています。「西流」に所属する冷泉町一区もそのひとつです。参加者約70人のうち、町内に住む参加者は一割ちょっと。番組では町内の若手リーダー格の青年と、初めて参加する外国人男性にスポットをあて、伝統の祭りを次の世代にどう継承していくのかを追いかけます。

出演者:【ナレーター】 山口喜久一郎(テレビ西日本アナウンサー)

制作局テレビ西日本(TNC)

2017年4月9日(日)

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追憶の部屋~戦地からの便り~

大刀洗平和記念館の「追憶の部屋」と呼ばれる遺影コーナーに米兵の写真が飾られている。遺族たちは一様に、戦地から送られてきた手紙を大切に保管していた。

のどかな田園が広がる福岡県大刀洗町。かつてこの地には“東洋一”と謳われた旧陸軍大刀洗飛行場があった。ここには航空隊の若い兵士や教官をはじめ、勤労動員の学生や女子挺身隊など、多くの若者たちが勤務し、働いていた。
太平洋戦争末期、この地はB29の爆撃にさらされた。6回におよぶ空襲で、飛行場は壊滅的な被害を受けた。現在、飛行場の跡地にたつ筑前町立大刀洗平和記念館。ここでは、大刀洗飛行場に関わった戦没者たちの記録と記憶を今に伝えている。その館内の一画、「追憶の部屋」と呼ばれる遺影コーナーに米兵の写真が飾られている。
遺影の人物の遺族に会うためアメリカを訪れ、インタビューを敢行。遺族たちは一様に、戦地から送られてきた手紙を大切に保管していた。戦後71年、海の向こうにも家族を失った人たちの悲しみがあった。

制作局テレビ西日本(TNC)

2017年4月2日(日)

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母を越える日~水上のなでしこレーサー物語~

ボートレース界に史上初の母娘対決が実現!大先輩である母親、まだまだ未熟な若手である娘。親子関係とライバル関係の中で揺れ動く、母・娘の思いを描く

最高時速80キロのスピードで競い合う「水上の格闘技」・・・ボートレース。
そのボートレース界に史上初の図式が、昨春誕生した。母はレーサー28年目の大山博美さん、娘はレーサー2年目の大山千広さん。男性レーサーに混じってレースをして勝ってくる母に憧れ、小学校の頃から「ボートレーサーになりたい!」と思い続けた娘・千広さんは親元を離れ、ボートレーサー養成訓練施設「やまと学校」で1年間寮生活をすることに。高校時代陸上のキャプテンとして、自らは七種競技の選手として体力には自身があった千広さんだったが、やまと学校2ヶ月目に壁にぶつかる。「やめたい・・・」電話で娘の弱音を聞いた母・博美は、娘に手紙を書いた。「私と一緒に走ってください」娘・千広は、それから気持ちを切り替え、メキメキと頭角を現し、晴れてボートレーサーに。福岡・ボートレース若松で、二人にとって忘れられないレースがあった。
2016年5月1日、母娘3度目の対決が実現!一番人気の白1号艇の母「大山博美」、青4号艇の娘「大山千広」。過去の2レースは、母が先着、娘は母の背中を必死に追いかける展開。
そして迎えた3度目の対決の結末は・・・?母であり大先輩である博美、娘でありまだまだ未熟な若手である千広。
親子関係とライバル関係の中で揺れ動く、母・娘の思いを描く

出演者:【ナレーター】 橋本真衣(テレビ西日本)

制作局テレビ西日本(TNC)

2017年1月29日(日)

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組子を世界へ

時代に忘れかけられた伝統工芸「大川組子」▽JR九州「ななつ星」「或る列車」で注目▽デザイナー水戸岡鋭治と組子職人が挑む!「組子ハウスプロジェクト」とは?

JR九州が運行する豪華列車「ななつ星」や「或る列車」で注目を集めた「大川組子」。書院障子や欄間の装飾に使用され、約300年の歴史を持つ伝統工芸である。日本を代表する工業デザイナー水戸岡鋭治も絶賛する職人技だが、住宅事情の変化によって、一度消滅の危機を迎えた。現代の家には欄間もなければ書院障子もない。組子の居場所が、家の中から消えたのだ。その危機を脱しようと奮闘する男が組子職人の木下正人さん。「待つ伝統から攻める伝統に変わった」と語る木下さん。従来の組子の価値観を一新させ、新たな組子商品を生み出す。さらに水戸岡鋭治とともに挑む組子ハウスプロジェクトとは、いったいどんなものなのか?300年の歴史が変わる瞬間に密着した。

制作局テレビ西日本(TNC)

2016年12月4日(日)

この広い空の下で~大刀洗飛行場の記憶~

当時を知る人たちは、年々その数を減らしていく。わずかに残った「71年前の若者たち」の語る言葉に、今こそ耳を傾けなければならない。

▼そこは長閑な田園の広がる町だった。稲穂越しに家々が臨める豊かな穀倉地帯だった。少なくともそこに大きな飛行場ができるまでは・・・。昭和20年、この地は米軍機の空襲に晒された。火が人々を焦がし、焼いた。▼大刀洗の町に突如襲い掛かった惨事が人々の記憶に特別な思いを残しているのは、若者たちが犠牲になったからだ。当時この地では航空隊の若い兵士、勤労動員の学生、女子挺身隊など、多くの若者たちが働いていた。▼71年前、青春の直中にあった彼らは、どんな思いで生き、そして死んだのか。福岡の一地方で起きた空襲の中には「若者にとっての戦争」が凝縮されている。当時を知る人たちは、年々その数を減らしている。今こそ彼らの「生」の声に耳を傾けなければならない。

制作局テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2025.06.22(日)

福岡市の中心部、天神に位置する済生会福岡総合病院の救命救急センター。ここに久城正紀という医師がいる。救急車で運ばれてきた様々な患者の処置を行う救急医だ。研修医時代、救急医療の魅力を知った久城医師は済生会福岡総合病院で研鑽を重ね、その後、ドラマ「コード・ブルー」のモデルにもなった千葉県の病院でフライトドクターを務めた。ドクターヘリの搭乗回数は500件を超える。他にも、福岡県での豪雨災害や能登半島地震など、多くの災害医療にも携わってきた救急医療のスペシャリストだ。そんな久城医師が福岡に帰ってきたのは3年前。これまでの経験を地元福岡に還元したいと話す。40歳を迎える今年、彼が目指す救急医療のあり方とは。

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