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これまでの放送内容

2015年2月1日(日)

ひまわりのように~徳之島に特別支援学校を~

徳之島に特別支援学校を!設置を求める署名活動を続ける車椅子のシンガーソングライター森圭一郎さんが、昨年6月、締めくくりとして「車椅子での徳之島一周」を計画した。

 長寿の島、そして、出生率日本一、地域ぐるみで子育てをするという徳之島。しかし、この島に、養護学校や聾学校、盲学校と行った特別支援学校がない。そのため、鹿児島や東京、大阪の特別支援学校に通うため、島を離れる子どもが大勢いる。島の障害児の現状に心を動かされ、特別支援学校の設置を求める署名活動に積極的に協力するようになったのが車椅子のシンガーソングライター森圭一郎さん。「島で暮らしたい」と願う親子の願いを込めたテーマソングを作り、全国60カ所を回るツアーでその歌を歌い、会場を訪れた人に署名への協力を呼びかけた。昨年6月、1年あまりにわたる署名活動の締めくくりとして、森さんは、「車椅子での徳之島一周」を計画。3日間かけて75キロを走破した。保護者たちもあきらめかけていた特別支援学校設置の夢を森さんが呼び起こした。子どもたち、保護者、島の人たち、森さんの歌に心打たれた人たち。多くの人の思いを込めて車椅子が徳之島を駆ける。

出演者:車椅子のシンガーソングライター森圭一郎さん 【ナレーター】 山本慎一(KTS)

制作局鹿児島テレビ放送(KTS)

2015年1月25日(日)

新八郎の新獅子

熊本市の老舗人形店十代目の厚賀新八郎氏(71)が新町の獅子頭作りに初めて挑む。初めて公開された伝統の技。人形師歴50年の厚賀氏はどのような獅子頭を製作するのか。

江戸時代から続く老舗人形店の十代目・厚賀新八郎氏(71)は、熊本を代表する伝統工芸品「おばけの金太」を作っている。その厚賀氏に熊本新町獅子保存会から新しい獅子頭を作ってほしいという話が舞い込んできた。新町獅子は400年の歴史があり、熊本市の秋のお祭りに欠かせない存在である。そして厚賀氏にとっても、子供のころから馴染みのある獅子。代々受け継いできた技をいかしながら、日本で最大級の張り子の獅子頭に挑む厚賀氏を約300日にわたり追った。

出演者:【ナレーション】 尾谷いずみ(TKUアナウンサー)

制作局テレビ熊本(TKU)

2015年1月18日(日)

笑顔の力 写心家 柳田かおり

2年前に「アスペルガー症候群」と診断された女性カメラマン。障がいを公表しながら写真展を開くなど『写心家』として活動している。彼女が写真を通して伝えたい想いとは?

延岡市在住の柳田かおりさん(36)さんは21歳の頃から婚礼などの記念写真を担当するフリーカメラマンとして活動している。しかし、一昨年2月に「アスペルガー症候群」と診断された。▼アスペルガー症候群とは社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障がいで、「知的障がいがない自閉症」として扱われることも多い。▼幼い頃から「少し変わった子」として扱われ、思春期にはいじめられた経験も多かった。そのストレスから解離性障がいや原因不明の体調不良を併発することも。医師に診断され、改めて「障がい者」となった柳田さんは、「自分の正体が分かって素直に嬉しかった」と語る。▼障がいがわかって以降『人々の笑顔』を撮り続け、写真展を開いている。「障がい者と健常者が助け合える社会を作りたい」「写真展が障がい者への理解を深めるきっかけになれば嬉しい」と積極的に活動を続けている。▼自分の障がいを公表する事で周囲の環境は大きく変わった。夫をはじめ、周りには理解ある仲間達が集まり彼女をサポートする一方、彼女自身様々な人に元気を与えている。そんな柳田さんは、障がい者として活動する今の自分の集大成として、熊本県阿蘇在住の義手の詩人・大野勝彦氏の詩と自分の撮った写真をコラボレーションした、これまでに開いた事のない写真展の開催を決意。写真展開催までの暮らしを追いかけ柳田さんが写真を通して伝えたい想いを描く

出演者:柳田かおり 大野勝彦

制作局テレビ宮崎(UMK)

2015年1月11日(日)

青い瞳の唄者 ハイジ

琉球民謡大会の出場者にひときわ目を引く女性がいた。金髪を結い上げて和装に身を包む青い瞳の女性。彼女が歌い上げる琉球民謡は、沖縄の人たちが拍手喝采するほどの実力だ

琉球民謡大会の出場者に、ひときわ目を引く女性がいた。金髪を結い上げて和装に身を包む青い瞳の女性。彼女が歌い上げる琉球民謡は、沖縄の人たちが拍手喝采するほどの実力だ。アメリカ軍人である夫の赴任に伴い沖縄に移り住んで8年。「沖縄はふるさと」と語る彼女は一方で、三線を通じて沖縄の歴史を知れば知るほど、言葉にできない複雑な気持ちを抱いていく・・・。

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2014年12月21日(日)

復興へんろ道 74歳・本州一周徒歩の旅

東日本大震災復興への思いを込めて歩いた、ある男性の本州一周の旅に密着した。

日出町の尾畠春夫さん(74)は東日本大震災直後から、津波で被災した宮城県南三陸町にボランティアとして毎年訪れている。震災から3年、世間から被災地のことが次第に忘れられているのではないかと感じた尾畠さんはある行動にでた。それは本州一周を歩いて旅をすることだった。白装束を身にまとい、リュックに掲げた旗には目立つように書かれた「東日本大震災の復興を願う旅」の文字。奇抜なお遍路さんの格好をして歩く尾畠さんは出会った人たちに被災地のことを忘れないでと訴えた。旅の途中、尾畠さんは南三陸町へ立ち寄る。今回も町の為にボランティアをする尾畠さんだが、被災地のことを思い続けるのにはある理由があった。復興への思いを込めて歩いた尾畠さんの本州一周の旅に密着した。

制作局テレビ大分(TOS)

次回放送内容

OA:2025.08.17(日)

太平洋戦争末期の1944年、地上戦が迫っていた沖縄。国は、戦闘の足手まといになるとして、沖縄の子どもたちを九州へと移動させる「学童疎開」を推し進めました。親元を離れ、九州各県へと向かった子どもたちを待ち受けていたのは貧しい暮らしでした。当時の記憶を次の世代につないでいくために、去年、沖縄では学童疎開を追体験する研修が企画されました。県内の小学5・6年生が参加したなか、特別な想いを抱いて研修に臨んだのが眞榮城百恵さん(11)です。百恵さんのひいおばあちゃん、糸数裕子さん(享年97)は学童疎開の引率教師として、終戦まで宮崎に身を寄せ苦労の日々を送った体験がありました。ひいおばあちゃんの過去や当時の子どもたちのことを知りたいと、百恵さんは宮崎の地を訪れたのでした。

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