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これまでの放送内容

2026年8月30日(日)

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海がつなぐ

右腕を失い、生きがいも家族も失った男性がサーフィンを一から始めるため宮崎に移住。海で出会った多くの人とのつながりでどん底の日々から第二の人生が始まっていった。

仕事中の事故で右腕を失った男性。右腕、生きがい、家族…多くのものを失い、「人生のドン底」だった彼がサーフィンを一から始めるために神奈川から宮崎に一人で移住。片腕でのサーフィンは多くの困難があり、悪戦苦闘の日々だったが、宮崎での多くの人たちとの出会いが彼を助けていく。彼の第二の人生が始まった、宮崎の海がつないだ出会いとは…

制作局:テレビ宮崎(UMK)

2026年8月23日(日)

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YO-HO!宇宙海賊の唄

エアバンドパフォーマンスグループ「VPRO海賊団」リーダー、キャプテン・コフィこと井上浩一さん。「エア」への拘りとメンバーが探し求める「ザ・ソング」に迫ります。

その名は「VPRO海賊団」!ボーカルのキャプテンコフィこと井上浩一さん(55)をリーダーとして佐賀県を拠点に活動するエアーバンドグループです。エアーバンドとは、音楽に合わせてボーカルが歌い、他のメンバーは楽器を演奏している“フリ”を全力で表現するパフォーマンス。高い歌唱力に加え、メンバー1人ひとりの演技力や表現力も重要です。オリジナル曲やアニメソングを歌いながら九州各地でパフォーマンスを繰り広げるVPRO海賊団。彼らが探し求める、「ザ・ソング」とは一体何なのか!

出演者:井上浩一さん  「VPRO海賊団」のみなさん  ロックバンド「infix」リーダー・長友仍世さん 他

制作局:サガテレビ(STS)

2026年8月16日(日)

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あの日の記憶-なでしこ隊を語り継ぐ-

戦後80年、特攻隊を見送り“なでしこ隊”と呼ばれた少女たちの多くがこの世を去った。仲間の分まで語り継いできた女性は、知覧に帰ってきた息子へ記憶を託そうとする。

2020年、1人の女性と出会った。桑代チノさん(当時91歳)。チノさんが生まれ育ったのは鹿児島県南九州市知覧町。かつて本土最南端の特攻基地があった場所だ。1945年3月特攻隊が次々と編成された当時、知覧高等女学校の女学生だったチノさんは命令で特攻隊員の奉仕活動にあたった。隊員の世話にあたった女学生は約100人。校章の「なでしこの花」から“なでしこ隊”と呼ばれた。チノさんには忘れられない日があった。4月12日第二次総攻撃が行われた日。次々と飛び立つ特攻隊員を、八重桜を振って見送った。当時を語り出すチノさんの目は涙で濡れる。チノさんは、入退院を繰り返す様になった。そして、話を聴くことさえできなくなる。チノさんの長男の照明さんが戦争を語り継ぐ活動を始めた。“なでしこ隊”だった母の仲間たちに話を聴く。“なでしこ隊”の思いに胸を打たれ、やがて多くの人々へ母の経験した“なでしこ隊”の記憶を語り始めた。日本人の88.8%が戦後生まれになった今、チノさんたち“なでしこ隊”が語ってくれた言葉から改めて80年前の戦争について考える。

出演者:語り:田上晃吉

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

2026年8月9日(日)

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80年前の私 昭和20年、鹿児島

太平洋戦争末期の鹿児島で起こったことを、3人の戦争体験者のインタビューを通して語り継ぐ。

約310万人に及ぶ日本人が命を失った太平洋戦争は80年前の8月15日、終戦を迎えた。中学4年で終戦を迎えた立元良三さん(96)は、「国のために命をささげることが当たり前と思っていた」と少年時代を振り返る。自らを「軍国少女だった」と振り返る吉峯睦子さん(99)は、空襲で変わり果てた故郷の様子を絶望の思いとともに日記に記した。鹿児島空襲で7人の家族を失った春成幸男さんは、今年百歳。「自分も一緒に死ねば良かった」と語る。戦争体験者の高齢化に伴い、戦争の「記憶」は「歴史」へと変わりつつある。80年前の鹿児島で何があったのか。当事者の記憶と、その記憶に基づく「思い」を語り継ぐ。

出演者:ナレーター:美川愛実(KTSアナウンサー)

制作局:鹿児島テレビ放送(KTS)

2026年8月2日(日)

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スクリーンに生きる 幻の〇ト部隊

太平洋戦争末期に制作された戦意高揚映画。同作にエキストラとして出演した旧陸軍部隊はその後、戦地で地獄の「飢餓戦」を余儀なくされ大半が戦死。彼らの最後の叫びとは…

太平洋戦争末期に制作・公開された、戦時下の福岡を舞台とした映画「陸軍」。陸軍省後援の、いわゆるプロパガンダ映画だ。監督として白羽の矢が立ったのは「二十四の瞳」など、後に数々の名作を手がけることになる木下惠介。“戦意高揚”を目的とした映画だが、“反戦”とも伺えるシーンを忍ばせる。この映画には、福岡などから召集された本物の陸軍部隊・通称「〇ト部隊」が出演していた。沿道で多くの人々が国旗を振った、盛大な行軍シーン撮影。しかし、実際の出陣は映画とは大きくかけ離れたものだった。その後、戦地・フィリピンで地獄の「飢餓戦」を余儀なくされ大半が戦死した「〇ト部隊」。兵士たちの最後の叫びとは…

制作局:テレビ西日本(TNC)

次回放送内容

OA:2026.10.11(日)

100 年前の1926年、現在の熊本県山鹿市鹿本町で、15歳の芹川文彰( せりかわ・ぶんしょう) さんが無声映画『実録 忠臣蔵』(1926 年公開) を鑑賞。その記憶を頼りに3 年をかけて、映画を丸ごと絵で再現したペン画集を作った。迫力あふれるタッチ、フキダシの中のセリフ、スピード感の描写などはまるでマンガのようだ。約500 コマ、160 ページにも及ぶ。しかし、それは家族以外の誰の目にふれることもなく、実家に眠っていた。芹川さんは東京の美術学校に進学し、病気のために中退。熊本に帰り、人付き合いはほとんどせず、実家で絵を描いて暮らした。最後の4年間は入院し、そこで描いた絵を病院のスタッフに全て譲り、73歳で亡くなった。2020年、伯父・文彰の遺品であるペン画集を芹川英治( えいじ) さんに見せてもらった元新聞記者の松尾 正一( まつお・しょういち) さんは驚き、京都の『おもちゃ映画ミュージアム』に見てもらった。偶然にもそこには、元の映画の66分短縮版フィルムが寄贈されていた。文彰さんのペン画集はそれを補完する映画史の資料として、また、マンガ史を語る上で貴重な資料とされている。ペン画集は「キネマ画」と名付けられ、2021年と2024年にそれぞれ京都で活動写真弁士・坂本頼光さんとピアニストの天宮遥さんによって上演され、絶賛された。そして、熊本市でも2025年12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に活弁上演会を開催。300 席の会場は満席となり、90分に及ぶ大迫力の活弁と情感あふれるピアノ演奏で大成功を収めた。番組では芹川文彰さんが描いたキネマ画『忠臣蔵』の魅力を伝え、それをよみがえらせるために奔走する人々の思いを見つめる。

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