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これまでの放送内容 -2024年-

2024年6月30日(日)

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蜜蜂ファースト

大分県玖珠町在住の日本蜜蜂はちみつ農家・吉武琢磨さん。「蜜蜂ファースト」がポリシーだという異色のはちみつ農家の日々を追うと、驚きの連続だった。

大分県玖珠町在住の吉武琢磨さん(44)の職業は「日本蜜蜂はちみつ農家」。野山に空の巣箱を置き、野生の日本ミツバチが入るのを待つ「自然入居」という方法ではちみつを採っている。蜜蜂を飼育・管理せず、あくまで野生の日本ミツバチを相手にするから「養蜂家」ではなく「はちみつ農家」なのだという。蜜蜂の都合を最優先に日々野山を歩きまわり、蜜蜂とコミュニケーションをとる「蜜蜂ファースト」が彼のポリシー。春夏秋冬、異色のはちみつ農家の日々を追うと、驚きの連続だった。

出演者:ナレーター:小西綾音(TОSアナウンサー)

制作局テレビ大分(TOS)

2024年6月23日(日)

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Unarmed~武器を置く~

慰霊の日に平和の詩を朗読した少女は、沖縄の島々に押し寄せる軍拡の波に不安を覚え、祈りを込めた絵本を創作している。15歳の少女の目に映るリアル沖縄を描き出す。

2021年、沖縄・慰霊の日に「平和の詩」を朗読した上原美春さん。13歳の少女は多くの称賛を得た一方で、誹謗中傷も受けた。
翌年、その時の想いを「Unarmed~武器を置く~」という詩に綴ったところ、今度は「武器を置こうというメッセージをウクライナの人々に言えるのか」との批判を受けた。それでも、少女は…、「平和をあきらめない」と決意し、絵本を創り始める。美春さんが生まれ育ったのは沖縄県宮古島。小さな島々には今、軍拡の波が押し寄せている。島に吹く風を少女はどう感じているのか!?15歳の少女の目に映るリアルな沖縄を描き出す。

出演者:上原美春さん、作家・落合恵子さん

制作局沖縄テレビ放送(OTV)

2024年6月16日(日)

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CRAFT MEN~若者たちの酒革命~

自分たちの酒で世界を席巻したい…二人の若者が手掛けるのは一風変わった「クラフトサケ」。なぜ彼らは“酒”を造るのか?彼らが描く未来とは?挑戦と決意に密着する。

福岡市に「LIBROM」というバーがある。店内に入るとガラス越しにタンクが並んだ施設が見える。この施設、実は酒の醸造所。ここで日本酒の製造過程に果物などの副原料を加えた「クラフトサケ」を造っているのが、共に31歳の柳生光人さんと穴見峻平さん。なぜ彼らは“酒”を造るのか?そして彼らが描く「クラフトサケ」の未来とは?若者たちの挑戦と決意に密着する。ドキュメント九州は、「作品」としてではなくテレビ番組としての
エンターテインメント性を持たせた番組作りを目指します。

まさにFNS九州8局が一丸となって取り組む「ドキュメント番組」です。新しいドキュメンタリーの形を提案していきます。

制作局テレビ西日本(TNC)

2024年6月9日(日)

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お笑い県職員 ~舞台に上がる理由~

お笑いコンビ「今日もさが日和!」本業は芸人ではなく県職員。佐賀愛あふれる漫才を披露するが舞台に立つ理由は佐賀の魅力発信だけではない。県職員コンビの挑戦を追った。

お笑いコンビ「今日もさが日和!」はボケ・斉藤考生と古賀大裕のアラフォーコンビだが、まだ結成1年目。ボケとして佐賀の豆情報を散りばめ、ツッコミは叩かず言葉も優しく「誰も傷つけない漫才」を芸風としている。実は“今日もさが日和!”は本業が芸人ではない。2人は佐賀県職員、担当分野は児童福祉。なぜ県職員が漫才師として舞台に上がるのか。休み時間や休日にしか活動しない県職員漫才師の挑戦を描く。

制作局サガテレビ(STS)

2024年6月2日(日)

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かず君が目覚める日

かず君が目覚める日

かず君(松本一輝さん)は2歳の時、ゼリーを喉に詰まらせ重度の低酸素脳症になり、寝たきりに。意識は無く、母の献身的なケアで事故から8年経った今も命を繋いでいる。
母・輝美さんは、かず君との何気ない日常を動画に収めてSNSで発信。動けないかず君が動画の中では活き活きと生きる姿に、楽しみを見いだしていた。そんな輝美さんに、「動画クリエーター」になるという目標が芽生える。アニメーション動画の中では、かず君は話をすることも動くこともできると、奮闘の日々が始まった。かず君が目覚める日を信じて過ごす母の姿を追った。

出演者:松本輝美/松本一輝

制作局テレビ宮崎(UMK)

次回放送内容

OA:2024.10.20(日)

宮崎県宮崎市。母、祖父と暮らす園田孝生さん、27歳。3人兄弟の末っ子として誕生し、唯一彼だけが音のない世界を生きている。家族の中で手話ができるのは孝生さんだけ。普段は口の動きを読み取り会話している。 「聞こえる人はみんな嫌い。」ただ普通の生活を望んでいた孝生さんが、聞こえる人に壁を作ったのは小学生の時。 毎日繰り返される壮絶ないじめ。人間不信になり、友人でさえ信じることができなくなった。そんな時、彼の心に入ってきたのは「ろう者と話したい」と手話を懸命に勉強していた聴者だった。 みんな同じ人間。未来の聞こえない子どもたちのために私たちにできることは。

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